2009年10月30日金曜日

What I think about India


インドに来てもう1ヶ月以上経つのに、インドのことをあまり書いていなかったような気がするので、今日は、インドについて思うこと。

インドは、人をうつす鏡のようなところだと思います。

前も書いたけれど、人をどこまで信じられるのか、は自分をどこまで信じられるか、ということだし、しつこくてうるさいインド人に対して(インド人のしつこさはそれはもう、半端ではない)どこまで寛容になれるか、とか、どこまで人に対して優しくなれるのか、とか、どれくらいこの国に対してとけこむことができるのか、とか。
私はまだまだ修行中の身です。

先日、道端で指輪を買いました。
5ルピー(10円)の、ゆびわ。
下心のあるインド人が近づいてこなくなる、ときいていたので、左手の薬指に。
お金とかビザとか体とか、そんなものを目当てに日本人女性に近づくインド人が多いようです。
「ハロー」のあと、「どこから来た?」と聞かれ、日本と答えると、「インド人ボーイフレンドはいるかい?」と。会って10秒です。一体どうなってるんだこの国は・・・と思うのですが、とにかく、そんな人たちに、効果抜群です。
そんなところです。インド。
どこに行っても人に囲まれ、どこから来ただの、ハッパはいるかいだの、明日どこ行くんだだのと話しかけられ、道を歩けば 物乞いがついてくる。チカンも多く、いやな思いもしたことはあるし、それでも、インド人に助けてもらったことも、1度や2度ではなく。
嫌いになれない、ところです。

気がつくと(今さら気がついてる場合じゃあないのですが)11月ですね。立派な、すてきな、秋の時期です。
すてきな秋をおすごしください。

2009年10月27日火曜日

Chaiholic


chaiholicなんて単語が辞書にのってるのかどうか知らないけれど、私はちょっと、chaiholic。
(-holicで、中毒の、とか、・・・がとても好きで手放せない、とか、そんな意味です。)



牛さんに道をとうせんぼされる。通ろうとするとしっぽではたかれる。



ガンガーの、ガート(沐浴場)にて。沐浴する人も、お花売りも、サドゥーも、観光客も、みんな川に向かっています。



夕暮れ。
川のある町、好きです。
人の生活に密着しているところは、美しい、と思います。たとえチョコレート色をしていても、美しい。メコンもガンガーも、美しい。

2週間ほどリシュケシュにいたのですが、そろそろ西へ向かいます。

2009年10月22日木曜日

最近出会った人たちのこと

今日は、最近出会った人の話。

ネパールで出会ったルーマニア人の女の子が、まっすぐ前を向いて、はっきりと、言っていたこと。"Every happening has meaning."起こることは全て、意味のあることだから、と。

その人の強さは、顔に出る、ということを教えてくれたのは、中国の成都で出会った女性。彼女は、チベットの聖山カイラスへ行くのに、自分で旅行会社とやり取りし、ツアーメイトを募集し、興味を持った人が来ればそのツアーを説明し。気持ちの強さは、ことばにしなくても、人に伝わる。

backpackerという名前のギターを持った、男の子。彼はゴザや尺八や木刀や、その他いろいろなものをたくさんたくさん持っていて、荷物は約30キロ(!!!)。でも、自分で音楽を奏でることができる、って少しうらやましいです。荷物は少ない方が、旅は身軽にできるけれど、生活を楽しくするものをたくさん持っているのも、いいなぁ、って。

その彼に影響を受け、楽器を持って旅がしたい、とハーモニカを買った男の子。そのハーモニカの名前は、"Hero"。「スナフキンになろうと思って」と。

「もう男なんていらない」と言いながらも、ジュース屋さんのインド人の男の子を「かわいい」と、毎日会いに行く女のひと。人を好きになる気持ちはいつだってすてきです。恋せよ乙女命短し。

群馬で6年働いていた、ネパール人のおじさん。「日本、ほんっとにいいところですね。大好きです。」と。日本で働く外国人労働者の待遇は、あまりいいものでなかっただろう、ということを想像するのですが、それでも、心の底からそんなことを言ってくれました。

しつこいしつこいインドのお土産やさんの男の子。私が、「じゃあねー」と言うと、彼は、「いつ来るの?After dinner? Tomorrow? Next week? Next month? Next life?」って。

世界の広さを思うのは、文化や風習や人々や、そういったものからも思うのですが、でもそれ以上に、出会う人によって、世界は広い、と感じているような気がします。


私は体は丈夫で、普段はちょっとやそっとでは体調を崩さないのですが、ここ2日ほど、体調を崩して寝込んでいました。疲れなのか、風邪なのか、原因はよくわからないけれど。今は、熱は下がり、まだ声は出ないけれど、とりあえず復活しています。

その中で気づいたこと、二つ。ほんとうにしんどいときには、本を読むとか文字を読むこともできなくて、ただ、横になることしかできない、ということと、「喋る」ということは、とても、エネルギーとか、パワーがいる、ということ。

こちらで知り合った人たちに、薬をもらい、のど飴をもらい、フルーツをもらい。周りの人に助けられています。

読んで下さっている方々、日本も、寒そうですが、風邪の季節ですが、お体にお気をつけくださいね。

2009年10月19日月曜日

楽しむことと、はじまりについて。


こんにちは。
インドは、牛が、どこにでも、います。牛を見ない日など、ないほど、あちこちを、のっしりと。実に堂々と。

ただいまリシュケシュというまちにいます。ヨガのクラスがあちこちにあるので、習いに行ってみたり、散歩をしたり、読書をしたり。洗濯をしたり、チャイを飲んだり、おしゃべりしたり。
ヨガは、まだまだ初心者です。片足で立ってるとふらふらしちゃうし、筋肉もないので(本当は筋肉なんて必要ないのかもしれないのですが)難しいことは何もできないまま。それでも、体を動かすことに集中することは、気持ちのいいことです。


「楽しむことをあきらめない」
これは何かのキャッチコピーだったような気がするのですが、私にとっては印象的な言葉です。

楽しむことを努力する、というのはおかしな言い方かもしれません。
楽しむことは、努力することでは決してなくて、自然と感じることなのかもしれません。
それでも、楽しもうとする努力によって、自分の周りのこと、目の前で起きていることの、色や、見方が変わっていくように思っています。周りを楽しもうとする気持ちによって、楽しむことが、できる、と。
いやなこととか、つらいことがあっても、やっぱり楽しむことはいつだって大切だと思います。
楽しもうとしないと、いいことはよってこない、と思いながら、日々を過ごしています。


今日読んでいた、とある紀行文の、冒頭。

遠い異国の空の下で寝ころんでみたいと思ったのがはじまり。

私の場合は。

朝起きて、その日の予定をそのとき決められるような旅がしたいと思ったのがはじまり。

はじまりのきっかけはいろいろあるのですが、何かのはじまりを考えてみるのも、おもしろいことです。今自分がやっていることのはじまりを。

2009年10月17日土曜日

ちからのみなもと

ナマステ。

ただいま、リシュケシュというまちにいます。ヨガのまちです。ビートルズも修行したというところです。私もヨガをほんの少しだけ、習うつもりです。騒がしいインドの中で、良くも悪くもいろいろなものに慣れてしまって、感覚が麻痺してきた自分に、リフレッシュの日々。

先日、友人からこんなメールをいただきました。うれしかったので、コピーペースト。


今、こうして部屋でキーボードをたたいている瞬間も春菜ちゃんが 世界の全然ちがうところでチャイを飲んだり、今まで出会わなかった誰かと 話したり、食事を一緒にしているということはすごく新鮮で、 でもなんというか、心強い、感じがするのです。

それはさっちゃんがイタリアで歌を歌っていることも同じです。

春菜ちゃんが世界を歩いている、さっちゃんが好きな歌を歌っている。 そのことはなにか勇気づけられるものがあります。
好きなことをすることは覚悟が要ります。
大人になって、それが本当にわかってきたから、
すごく尊敬もするし、嬉しいし、自分も頑張らなきゃって思えます。


ここで出てくる「さっちゃん」というのは、以前のブログで書いた、イタリアで歌の勉強をしている友人です。

日本にいるとき、私はずいぶん周りの人にパワーをもらっていたように思います。社会の中で、それぞれつらいことや納得のいかないことがたくさんあるだろうけれど、笑顔で、たくましく、それぞれの道をみつけていた周りの友人たち。

旅に出てからも、私は周りの人たちに元気をもらっています。このブログを読んでくださっている人たちや、あちこちで出会う、強くて優しい旅人たち。そんな人たちがいるから、私もがんばらなくちゃ、と。

旅なんて、自分のためにしているようなもので、全く生産的でも、誰かの役に立つわけでもないと思っていたけれど、ほんの少しでも、こうやって周りの人のパワーになっているとわかったことが、うれしかったので。

ブログなんて本当は旅には必要ないし、時には重荷にもなりうるけれど、それでも、読んでくれている人がいて、応援している人がいることを感じられるので、始めてよかった、と思います。

とりとめのないことを書いているのですが、いつも、読んでくださっていて、ありがとうございます。

読んでくださる人がいることが、私の旅するパワーのもとの一つです。

2009年10月14日水曜日

太陽が最大限にあたる街



コルビュジェたちの作った建物を見に行ってきました。すごいです、チャーミングです、美しいです。私は建築についての知識もないし、それを語る言葉も持っていないけれど、それでも、心がざわざわしていました。見ていて楽しい、視覚的に美しい、ちょっとしたデザインがおもしろい。これを日常的に見られるなら、チャンディガルに住むのもすてきだ、と半ば本気で思っていました。

チャンディガルは、区画によって区切られていて、その区画が、東西南北を向いておらず、街が、北東に向かって、作られています。それは、太陽が最大限にあたるように、作られているそうです。街全体に、日光が、たくさんあたるように。

本日のお買い物。
小さな地図帳。旅の中で出会った人たちが今どこにいるのか、とか、世界の中の自分の位置とか、どこに行きたいのか、確かめるため。



本日のお昼ごはん。
ターリー(カレーの定食みたいなの)。ターリーのすばらしいところは、ごはんもカレーもチャパティも、おかわりをどさっと(比喩ではありません。本当に、どさっと)入れてくれるところ。そんなにたくさん食べられないんだけれど。


あっという間にインドも3週間がたちました。

今までいた他のどの国よりも、私にとって、インドは人をなかなか信じられないところでした。だまそうとしてくる人にも会ったし、インド人を信じようとした矢先にリキシャーのおじさんとけんかしちゃうし(始めに言ったことと違うことを言うので。間違っていることには戦わなくてはいけないと思う)。インドは決して、甘くないところだ、というのが、今までの感想です。

それでも、信じられないくらいあたたかい人にも会ったし、助けてもらったことも多々あるし、インド人を疑ってばかりではいないように、少しずつなってきています。すぐに100%はもちろん信じられないけれど。

どこまで人を信じられるのか、というのは、どこまで自分を信じられるか、ということだと、ひしひし感じています。まだまだ私は修行中です。

インドに来たら体重が落ちると思っていました。中国で太ったから、なんとかしないと、と。それが、落ちる気配全くありません。それどころかインド太りです。これが最近のプロブレムです。平和なプロブレムです。ほんとに。

2009年10月13日火曜日

CHANDIGARH


こんにちは。

ここ数日、デリーでのんびりぼーっとしていたのですが、そろそろ動かないと、と思い、早朝の電車に乗って、チャンディーガルというところまでやってきました。フランス人の建築家、ル コルビュジェが街づくりに関わったところです。

数年前、東京の美術館で、コルビュジェ展を見て、インドに行くことがあればチャンディーガルにぜひ行ってみたいと思っていたのですが、なぜかすっかりそのことを忘れていました。それが、少し前、インドで、コルビュジェのことを思い出しました。あ、コルビュジェの作った街に行かなくちゃ、と。

だから、やってきました。チャンディーガル。インドではないようなところです。街が整然としていて、区画によって区切られていて、緑がたくさんあって、牛はほとんどいない。
明日は建物を見に行ってきます。


20代前半の私のモットー
新しいことや興味のあることを始めることやってみることに、時間とお金を惜しまない

そのとき、建物を見ることが好きで、建築に関して何の知識もなかったのですが、建物を見ることが大好きで、日本も外国もあちこち行っていて、そのときの気持ちを思い出しながらいます。

知らない街にいることは、そのことがただ単純に楽しくて、わくわくどきどきします。それに、建物を見ることが好きだったときの気持ちも重なって、今一人でおしゃべり相手もいなくても、今後のプランなんて何もなくても、今よりほんのちょっと若くて怖いもの知らずだったときの気持ちを思い出し、少し、強い気持ちになります。

最近きいた言葉より
恋するように、旅をする
恋するように、いつでも、旅ができたら、と私も思います。

2009年10月8日木曜日

旅する人の道



デリーから電車で6時間揺られ、ジャイプールというまちに行ってきました。
こちら、風の宮殿、というところ。すてきな名前です。風の宮殿。

色の濃い町でした。建物の色も、女性のサリーの色も、光と影の色も。

暇だったからインド映画を見てました。インド人観客がやんややんやしてて、それを見てるのがおもしろかった。



インドの女性が、腕にじゃらじゃら着けている、バングル。
きらきらしているものに、弱い、私。いつも、立ち止まって、じーっとみてしまう。このかわいさ、きらきらっぷり、見ているだけで、楽しい。



現在はまたデリーに戻ってきました。

カトマンズもそうだったのですが、デリーは、人との再会がとても多いです。以前書いたように、5回目の再会をデリーでしている人もいるのですが、本日の再会は、中国のあちこちで3回会った人(デリーに来る時期が同じくらいなのは知っていた)と、中国の大理で1回会った人(この人は何も連絡を取っておらず、本当に偶然宿で再会)。「どこかで会いましたよね・・・えーっと、えーっと、大理だ!」と。

あちこちで会っていても、決してルートは同じわけではなく、中国からバンコクに行き、インドに飛ぶ人も、中央アジアを下ってきてインドに入る人も、チベット経由でネパール・インドに入る人も、います。
それでも、国と国はつながっていて、会えてしまうことが、奇跡のようなことだと思います。旅をしている人の道の上を、みなが歩いているようです。同じ道の上にいるようです。

同じ町にいて、会える人もいれば会えない人もいる、ということを考えたとき、人と会えることは神様からの贈り物みたいだと思っています。人と出会えるという幸せを素直にありがたく受けたいし、人と過ごす時間、というのを、楽しんでいたいと思います。


それでは、また。
もう少しデリーでのんびりしてから、そろそろ北に向かいます。

2009年10月6日火曜日

チャイを飲むと幸せな気分になる




ベトナムといえばコーヒー、中国だったらお茶、タイだったらシェイクだし、インドといえばチャイ。
いや、そんなことない、タイはビールだ、インドはラッシー(ヨーグルトの飲み物)だ、とか反論する方もいらっしゃるかもしれませんが、それぞれの国で、私がよく飲んできた飲み物です。

日本にいたときは、紅茶もコーヒーも、お砂糖は入れなかったり、ほんの少しだったりしたのに、今ここでは甘いチャイがとてもおいしい。朝起きたら、チャイ。生姜が入ってて、ミルクも濃くて、甘すぎるぐらい甘いのが、好き。

その国でよく飲まれている飲み物は、その土地の気候風土に適している、ということをよく思います。タイのビールはタイで飲むから余計おいしいし、チャイも、道端でおじさんがいれてくれるものを、適当にすわってインド人に囲まれて飲むから、余計おいしい、というか。日本の飲み物も日本の土地にあっていたんだ、ということをよく思います。





1杯3ルピーとか5ルピー(6円から10円ほど)のチャイを毎日売って生活しているおじさんもいれば、汗水たらして、暑い中、人力車で人を運んで働いているおじさんもいて、そのかたわら、旅行者から100ドルとか200ドルとか、平気でだましている人も、少なからず、います。

どの社会でも、真面目にまっすぐ働いている人たちより、一部の(ずる賢い)人たちがいい思いをしていること、少なからずあるのかもしれません。それでも、それは間違っていると私は思うし、真面目な人たちが安心して暮らせないと、と思います。

私は、毎日こつこつとおいしいチャイをいれてくれるおじさんに、敬意を持ちます。

生きるにはお金が必要、ということ、日本にいたときは、理屈ではわかっていました。生活するために、働いてお金を得ることは必要なこと、と。
でも、ここで人々を見ていると、日本にいたとき自分が思っていたことは、言葉にすると同じでも、全く違うレベルのことだと気付きました。


裕福な人もいるけれど、日々を生きることが、精一杯の人も、いる。たまに、しつこいインド人に腹が立ってしまうこともあるのですが、それでも、そうしてでもしつこいのは、彼らは生活がかかっているから、ということを思うと、複雑な気持ちになります。だからって私もだまされたり不要なものを買ったりする余裕もないのですが。それでも、どこかやりきれぬ、まま。

2009年10月4日日曜日

ふたたび一人旅

一人旅に、戻りました。どういうことかというと、日本から遊びに来てくれていた友人が、帰国したので、一人旅。
遊びに来てくれていたのは、2ヶ月前、カンボジアで会った、さゆっぴさん。3週間弱、ほとんど一緒に過ごしていたのですが、同じ景色の中にいても、見ているもの考えていることはやはり違うし(ブログのぞくととわかると思います)、人と一緒、というのはそれだけでただ単純に楽しいことです。ごはんを誰かと食べるのは、一人で食べるより数倍おいしいし。私のわがままに、たくさん付き合ってくれた彼女に感謝します。楽しかったです、さゆちゃん、どうもありがとう。

一人で出てきたこの旅ですが、一人でいた日なんて数えるほどで、誰かと一緒にごはんを食べたりぼーっとおしゃべりしたり、人とよく過ごしています。一人でいるから思うこととか分かることもあるし、人との出会いもたくさんある反面、人といるから楽しめることも、できることもあるし。

ここでも、いろいろな人と会いました。ある人とは、カンボジアですれ違い、中国の成都で会い、カトマンズ、バラナシ、ここデリーと5回(!!!)もあちこちで会っています。別の人とは、ハノイ、カトマンズ、デリーと3回。人との出会いは、ほんとうに、不思議です。人と人は、つながっている、と思います。




"EVERY THINK IS POSSIBLE"
everythingの間違い?でも、いいですよね、その通りですよね。Every think is possible.

2009年10月1日木曜日

最近、少し考えていたこと



タージマハルへ、行ってきました。

鳥肌が立ってしまうほど、美しかった。写真で、テレビで、今までに何度か目にしたことはあって、ふーん、としか思っていなかったのですが、実物は、本当に、圧倒的に、美しかったです。ぼーっと見ていても、見飽きない。こんなきれいな形があったとは、と思うほど。

これは、お墓だそうです。愛する人のため、建てられたお墓。誰か私のためにこんなお墓立ててくれないかなー、と、絶対無理とはわかっていても、思いながら、眺めていました。


カトマンズで、ふと聞こえてきた、日本人のおじさんの会話。
「約30年前、ある評論家の男性が話してたことなんですけどね、その人が死んだら自然葬にして土に埋めて、その上に木を植えてほしい、ってことを言ってたんですよ。そうすれば、その木はそう簡単には切られないだろうし、その上で子どもが遊んだり動物が集まったりするのも、僕もうれしいし、って。」


バラナシで、ガンジス河で火葬しているところの近くに行ったり、こんな話をきいたり、ため息が出るほど美しいお墓を見たり。人が死ぬこと、そのあとのことを、なんとなく、うっすら、考える最近です。今まで、きっと幸せなことに、人の死の近くにいることが、たまにしかないまま過ごしてきました。死ということを、ほとんど考えることのないまま。それでも、人は、いつかは死んでしまう。

死と向き合うことは、生と向き合うこと、ということをきいたことがあります。インドにいると、ここに生きている人や動物の、生と死の境がはっきりしているように感じます。力強く生きているから死があるし、死があるのは、生きている証拠だ、と。

生きること死ぬことなんて、あまりに大きすぎて言葉にならないし、わからないことだらけなのですが、最近、少し考えていたことです。
一つ思っていることは、自分の死に方とか、死後のことを、ある程度自分で考えて決めたい、ということです。死ぬことも自由に、というか。やりたいことがたくさんありすぎて、私はまだまだ死ぬわけにはいかないけれど。

私の高校の同級生は、「私が死んだらお葬式でブルーハーツをがんがんかけてほしい。」と言っていました。その話を父親にすると、「わしはボブ・マーリーがいいな。でもお坊さんやりにくいかな。」と。そのくらい自由に、考えられたら、と思います。

なんだか明るい話ではありませんが、最近思ったことです。
気がつけば10月ですね!日本は涼しくなっているらしいですね。デリーは暑いです。