2011年3月26日土曜日

単線の鉄道のあるまちより



今、わたしは、単線の鉄道のある街にいます。
わたしが中米にいる間に家族が引っ越しをして、知らない街にただいまでした。
以前住んでいたところの、となりまちです。

帰ってきて1週間は、市役所に行くのも郵便局に行くのも道に迷い、
外に出たら家まで帰るのに道に迷い、と迷子になる日々だったのですが、
ここ最近、やっと道が分かってきました。

夜の10時とか11時に、「いまからあそぼー」と友達に言って(もしくは連絡が来て)、
自転車で近くのファミレスに行って、たわいもないことを喋るなんてすてきなことができなくなってしまったけれど、
電車の本数は少なくて都会に出るのがちょっと不便なのだけど、
でも、山が近くに見えて踏切を渡りながら日々を送るのも、なかなかいいな、と思う毎日です。

こんなところに暮らしています。以上、暮らしの近況報告。


2011年3月22日火曜日

地震と、帰国と。

お久しぶりです。

自分の気持ちがまとまらないままの帰国、飛行機の乗り換えのためアメリカにいたときに起こった東北地方の大地震。
とりあえず帰ってきたものの頭も気持ちもまとまらず、何をどう書けばいいのか糸口さえも見つけられず、パソコンを開いてもブログを避けるように過ごしていました。
いつまでも避けているわけにもいかないので少しずつ。

帰国しました。とりあえずの、ご報告。地震の翌日に、日本に着きました。
旅先でお世話になった方々、日本で待っていてくださった方々、このブログを読んでいてくださった方々、ありがとうございました。
ありがとうと言葉で言ってしまえない程、周りの人に助けられた日々でした。
旅先での話や写真はまた、まとまり次第、更新しようかと思っているのでたまに覗いてくださるとうれしいです。

地震から、10日。
なんだか、日本全体が混乱していた日々だったよう感じます。
私自身も混乱していて、何と、どう、言っていいのかわからないのですが。
つらいニュースばかりで、情報も錯綜して、東北に住む知人の安否を案じて。
自分の非力を思い、東北で働く親戚を思い、自然の恐ろしさを改めて感じて。

思うのは、誰か何かを非難していてもどうしようもないってこと。
東京電力の対応を、原発のやり方を批判や非難していてもどうしようもなくて(批判される理由は分かりますし、原発をなくしていく方向にしてほしいと個人的には思いますが)、危険な中で必死に働いている人たちがいて、その人たちにはその人たちを心配する家族や友人がいてということを思うと、その人たちのがんばりがうまくいくことを願うのみです。
批判とか反省はそのあとでもいいと思うのです。
今がんばっている人たちがいる、それを応援しないと、と思うのです。

被災者の方々のために働いている人たちのはたらきが実を結びますよう。
早く東北の人たちに穏やかであたたかな暮らしが戻りますよう。

そのために。
私ができることは少しばかりの募金と、強く信じること祈ること、明るく生きていくことかな、と思っています。

2011年3月11日金曜日

mas o menos cake



こんにちは、こんにちは。

なんだかばたばたと慌ただしい日々を過ごしていました。
でも私は元気です。

ここ最近、グアテマラの治安の悪さと気の休まらなさをひしひし感じていました。
夜、1人で歩くときのこの恐怖、今までいろいろな国に行ったけれどどこでも感じたことの
ないものだなぁ、と。
気の休まらないところだ、と。

ここ数日、ケーキをいくつか焼いていました。
もともとは友人の誕生日だからケーキを焼こう、と思って、その予行練習で1回焼いて、
なんだか楽しくっておいしくって、味をしめて(?)その後数回。
オーブンはあるのです。でもはかりがないのです。
だから、「だいたいこのぐらい」と目分量で作るのです。
スペイン語で「大体」はmas o menosと言うのですが、
(直訳すると英語のmore or less、「多かれ少なかれ」と言った感じ)
全てがmas o menosで作っているから、名付けてmas o menos cake。
でもこんなに大ざっぱな割にはちゃんとケーキになるのです。

mas o menosってすごくすごく便利な表現で、何でも、ほんとに何でもmas o menos.
スペイン人と英語で話してると、彼らはとにかくmore or lessって言うのです。
その理由が分かります。


つい最近までエルサルバドルに行っていました。
その話はまたこんど。

もうすぐ日本です。



2011年3月5日土曜日

マリーとコリン


マリーとコリンがアンティグアにやってきました。

マリーとコリンというのは、1年半前に中国で出会って、それからあちこちで会って、
日本に来たときには何も見るところのない岐阜に立ち寄ってくれた、世界をぐるりと
旅しているフランス人とアイルランド人のカップルの2人です。
ここで会って、私は彼らとあちこち5カ国で会っているのです。

私は彼らのことがすごくすごく好きで、恋でもないし理由もわからないけれど
この2人がとても好きで、一緒にいるだけでうれしくてほわんと幸せになるのです。

彼らは、「日本人は繊細だし、他人に対してすごく気を遣って尊敬の気持ちを持ってる」と
言うけれど、私からすると彼らは日本人以上に(と言ってもいろいろな日本人がいるの
ですが)繊細で、周りに気を配って、でもそれを周りに伝えないようにしています。

欧米の人たちと対等に英語で話せない、言いたいことを言いたいときにぴったりした表現で
言えない私が、チベットからネパールまで2、3週間ほど欧米人11人アジア人1人で過ごしていた
とき、居づらくならないようそっと見ていてくれて、あたたかくまっすぐ迎えてくれたのは
彼らでした。
その後も、どこでいつ会ったとしても、あたたかくて強くて、たくましく旅を
楽しんでいます。いつだって私をまっすぐきちんと迎えてくれます。

こんなこと読んでも、ふぅんと思われるかもしれないけれど。


私はほんとうに、周りの人にたくさん愛をもらっているから、
だから愛を周りに返さなくちゃいけない、と思うのです。
何をどうしていいのかわからないのだけれど。

人に愛をもらったことは忘れません。
愛って一体何なのかもよくわからないけれど、大切にしてもらったこととか、
あたたかくしてもらったこととか、私はこれからも忘れません。
スペイン語の単語を忘れていったとしても、あたたかい気持ちは残ります。
だからこそ。自分が受けたうれしかったことを周りにも、と思うのです。


好きな人はたくさんいて、会いたいと思う人はみんな好きな人なのですが、
そんな人が周りにいることを心から幸せに思います。


2011年3月2日水曜日

風通りのいい国レバノン



レバノンにいたのはちょうど1年程前です。
鳥が店先のとうもろこしをつまんでいても何の問題もない素敵な国、レバノン。
日本で生活していたときはレバノンなんて国に行くことなんて頭の片隅にもなかったけれど。




いかしたポストがあるのです。

そして道にはハートも落ちているのです。



最近人に指摘されたこと。
「さしすせそ」が言えてないってこと。言えますか、ちゃんと、さしすせそ。
私はどうやら舌をかんで発音してしまうみたいです。英語のthみたいに。
周りの人に聞いてみたら、案外「さしすせそ」が言えない人が多くてちょっと驚き、そして安心。


それではまた。
今日から3月ですね。春ですね。
ここは春ではないのですが(常春と言われているけれど)、春ってことばにうきうきします。