2013年3月29日金曜日

春風のここちよい20代最後の日の夜に。


20代のころ、特に後半はたくさん旅をしてきました。
高校生のころ、沢木耕太郎の『深夜特急』を読んで以来、熱に浮かされたように
旅のことばかり考えていて。
とにかく知らないところに行ってみたかった、ただそれだけ。
遠い世界に人々が住んでいるということ、ただそれだけを感じたくて。


「世界は」なんて簡単に言えることでは決してないけれど。
今まで見てきたものが大きすぎて、どうしたってことばにはまとまらないけれど。
分かったことは、ほんとうに、あちこちに人が暮らしている、生きているという
当たり前の事実。人の生活がある、という実感。
お茶しておしゃべりする時間も、喧嘩も、恋愛も、ごたごたも、仕事も、食事も
人々の暮らしが、何の変哲もないふつうのことがきちんとありました。

そして私が見たかったこと知りたかったことは、実はそういったこと。
雄大な自然でも遺跡でもなく、人々の暮らしをただ感じたかっただけ。



去年の夏、中央アジアに行ったときにはっきりと感じたことは、
もう旅は終わりでいいな、ということ。
旅は楽しい、でも、少なくとも今までしていたような旅は私にはもう必要ないし
できない、ということをはっきりと感じました。
どうして?と言われてもそう言うしかありません。
とにかく、あぁ、終わったんだな、と静かにはっきりと思ったのです。

旅が必要だった時期は確実にあって、その時は旅が終わるなんて想像もしなかったけれど。
そんな時期がきちんと来たことを、寂しくも、嬉しくも思います。



旅先で出会った人々、日本で待っていてくれた人々、
ブログを読んでくださっていた人々に、心の底から深く感謝します。
ありがとうございました。

必要なものを必要なだけ見せてくれた旅の神様にも心からの感謝を。
ありがとうございました。


「旅をする」時期は終わったけれど、今後も旅人のように生きていけたら、と思います。
新しく知るものにどきどきして、出会う人と物語を交換しながら、身軽に、
真っ白でニュートラルな気持ちで。
出会った人に頂いた優しさや笑顔や強さを、少しでも周りに還せるように。

旅はおわり、そして、このブログも本日で終わりにします。
つたなくてごく個人的な文章と写真におつきあい下さり、どうもありがとうございました。


春風のここちよい20代最後の日の夜に。
感謝と今後の祈りを込めて。

2013年3月24日日曜日

古いもの、新しいもの


ウズベキスタンには、スザニと呼ばれる刺繍された布がありました。
小さいものから大きいものまで、花や果物などをモチーフとして、手が込んだ刺繍がされている布です。それぞれのモチーフには悪の目から守ってくれるとか、長生きのしるし等の意味があり、刺繍は受け継がれ、それぞれの家庭で大切に使われているものでした。



このような美しい布は観光客のおみやげには最適で、ウズベキスタンの観光地では
スザニを扱うお土産屋さんがいくつもいくつもありました。

ふと、古いものを扱うお土産やさんに入ったときのこと。
見るからに古い布が、あまり手入れされていない状態で置いてありました。
いくつかはほころびていたり、しみがついていたり。

でも、それらは不思議に心をつかむ美しさだったのです。
「きれい」なんて言葉にならなくて、「すてき」とも違っていて、ただ、だまってじっと見つめることしかできない美しさ。

そのお店のおじさんが私に言ったこと。
「新しいものと古いものは違うんだ、新しいもの、こういう場所(お土産屋)に置いてあるものは観光客に売るために作られるけれど、古いものは、作る人が彼ら自身のために、彼ら自身の生活のために作られているんだ」

考えられたデザインのものは美しい、手の込んだものも美しい。
けれど、どんなに美しいものも、その土地に必要だから作られたもの、無駄のないもの、想いの込もっているものには決して敵わないような気がするのです。

新しいものより古いもの、と言うわけでは決してないのですが。
新しいもの(観光客用につくられたもの)のクッションカバーと、古いもの(恐らくどこかの家庭で使われていたもの)のティーマットを買ってきました。
どちらも私にとっては大切なものです。
けれど、何かものを作るときに、このおじさんの言葉を忘れないようにしたいな、と思います。


2013年3月18日月曜日

好きなことば

こんにちは。またあした。おやすみ。会いたいね。
うれしい。楽しい。なんて幸せなんだろう。
お茶でもしよう。いい天気だね。洗濯日和。元気だった?
おいしい。I miss you. ああ、いい一日だった。
手紙を書く。男前な生き方。「息をするようにものをつくる。」
ドーナッツ。フレンチトースト。ビスケット。
"Power to the People" care, share.
「歌うことは祈りだと思う」
「いつでもでんわを」

今思いついた、好きなことば。
こんなことばが一番大切な生活の中暮らして行きたいと思います。
次はもう少しだけ真面目に書きます。

おやすみなさい。

2013年3月6日水曜日

手紙は不思議


今日、帰宅したらカスミ草の押し花の入ったお手紙が届いていました。
ここちょっと、いくつかの小さな落ち込むことがあったり体調も良くなかったりした時期に、一気に幸せが戻ってきた、お手紙。
一度しか会ったことはないけれど、でもご縁あって続いている遠くに住むお友達より。
どうもありがとう。


お手紙は不思議です。
欲しいときに、欲しい言葉が届きます。メールよりも、ぐんと高い確率で。
それを自分では気付いていなかったけれど、恐らく相手も意図してはいなかっただろうけれど、でも届いたときに、これを私は欲していたんだ、と気付くことがよくあります。
書いてくれたひとからの贈り物なのだけれど、それはなんだか神様からの贈り物のようだとも、いつも思うのです。

私のお手紙はそんなお手紙になっているのかはよくわからないけれど。
春になりつつありますし、お手紙、たくさん書こうと思います。


2013年2月28日木曜日

なんだか、最近。

これは何も手を加えていないよ。
フィルムで撮って、データにしてもらったそのまま。

なんだか最近。
写真を撮ることがなんとなくおもしろくなくなって。
人の写真を見ることもとても好きだったのに、なんとなく最近心をぎゅっとされるものに出会っていません。
写真は、たくさんあちらこちらで、見るのだけれど。facebookに、あちこちのブログ。
その6割ぐらい、「なんとなくいい雰囲気に」加工されたもの。

加工することが悪いとは全く思わないけれど。
ただ、どれもこれもが「なんとなくいい雰囲気」で見ていてちっとも楽しくない。
携帯のアプリで拍子抜けしてしまう程簡単に加工できるもので、
あれ?写真って、なに?と思ってしまいます。

そういうものが好きな人もいることは分かるし、否定するわけでもないけれど。
「雰囲気のある」写真はなんとなく素敵だけれど、私にはちっとも心に響いてきません。

もっともっと、ぎゅっと、「今しかない」瞬間のものを見たいなぁ、と。
気持ちが表れているものや力強いものを見たいなぁと、近々、写真美術館に行くことを決意。


これは、好き嫌いの1つなので、ヘビーメタルは肌に合わないけれどロックは好き、
と言った程度のものなのですけれど、ね。
大したことではないのですけれど。
写真を撮ることが楽しいと、また思えるようになりたくて。


2013年2月20日水曜日

チョコレートという幸せ


バレンタインに、いわゆる「友チョコ」なんて女の子同士で交換してきゃあきゃあ言う年はとっくに遥か昔で、
ここ何年もバレンタインはチョコレートをあげる方としてそれなりにこのイベントを楽しんできたのですが。

今年、もらってしまいました。友人に、チョコレート。

なんだかとてもとても嬉しくて、男の人はこんなに嬉しい2月なのね、と初めて知った今年のバレンタイン。
勿体なくて食べられません。しばらく眺めていようと思います。

メッセージカードの裏には"Lots of Love!"って書いててくれて、この日一緒にもらった別の友人は、「これ何て書いてあるん?「めっちゃ愛」ってこと?」と。
そのことばもかわいくて。めっちゃ愛。

2013年1月14日月曜日

Bienvenido, 2013


新年になってから2週間も過ぎてしまったけれど。
遅ればせながらも、ご挨拶。明けましておめでとうございます。





去年の秋に会った友人が突然、「お正月みたい」と言いました。
その日はお正月でも何でもなく、11月の晴れた一日だったのだけれど。

それでも、その日は確かにお正月みたいだったのです。
晴れていて、好きな人たちに囲まれていて。
その時の私は求職中で、一緒にいた友人もあと数ヶ月で無職で、
お互いに約束された将来なんて全くこれっぽちも持っていないけれど、
今後もいいことがたくさんあるに違いないという理由もない確信。

お正月は、「今年もこれからもいいことがたくさんあるに違いない」って思います。
お正月でなくてもいつでも、お正月みたいに、いいことがたくさんあると明るい未来を信じる日々を持ち続けていたい、と思います。

ようこそ、2013年。
Bienvenidoはスペイン語でのWelcomeの意ですが、「ようこそ」というより、
「よく来たね」の方がぴったり言葉。よく来たね、って好きなことばです。

今年もどうぞよろしくお願いします。
楽しいことばかりでもないですけれど、なんとかなんとか、笑って日々を送れますよう。