2009年11月30日月曜日

都会の片隅にて

ギルギットからラワールピンディまで、24時間、と聞いていたバスですが、かかった時間は、合計32時間。
途中山が崩れて道がつぶれ、その修復に山道で9時間バスが止まり、32時間、です。日本だったら、あっという間に、迂回する道ができて、警備員がきて、何もなかったかのように車が動くだろう・・・ということを頭の片隅で想像したのですが、ここはパキスタンですし、日本だったら、なんてことを考えても仕方のないことです。無事着いたし、頭の上に岩が落ちてきたわけではないし、よかった、といえばそうなのですが。
それにしても、これだけの時間をかけてでも、パキスタン北部は行く価値のあるところだと思います。ほんとに、本気で。電力は安定しないのですが、そのおかげで、プラネタリウムみたいな星空が見えます。山の稜線があんなに美しいものだということを、私はフンザで初めて知りました。

最近、旅のスピードが、ゆっくりになってきました。ちょっとぼーっとしていると、1週間などあっという間に過ぎていきます。東南アジアにいたときは、3,4泊したら、そろそろ次の町に行かなくちゃ、と思っていたのに。

最近ゆっくりになってきたので、そろそろ、きちんと動かなくちゃ、と思いつつ過ごしています。
動くことは大切です。動かないと景色は何も変わらないし。

「冒険はしてみるものなのだ
経験が、きっと前進につながるから」

この言葉をつぶやきつつ、もうすぐインドに戻ります。気合いと体力のいるところです。なんたって、インドですから。嫌いじゃないのですけれど。でも、ちょっと、気をひきしめないと。なんたって、インドですから。

よく考えると、ここは、今、「世界で最も自爆テロが起こっている国」です。日本のJICAもこの国から撤退してしまったほど、情勢が不安定な、ところ。
私の目の前は平和なことだらけでも、確実に、平和でないことも起こっている。平和に生きてきた人たちが、テロに巻き込まれてしまうことも、ある。
それぞれの求める「平和」や「幸せ」や「正義」を追求するあまり、殺し合いが起こるなんてなんて皮肉なことなんだろう、と思います。そんなこと、神様は望んでいないはずだと思っています。

最近、とりとめのないことばかり書いているこのブログですが、読んでくださってありがとうございます。師走ですが、走ってばかりではなく、たまには立ち止まって、また読みにきてくださるとうれしいです。

2009年11月26日木曜日

お茶を飲む文化について、と、ふと思ったこと


「一杯のお茶を上手に淹れることができるなら、あなたは何だってできる」
というイスラムのことわざがあると、以前本で読んだことがあります。
お茶を飲むことを大切にする文化ってすてきだと、いつも思います。パキスタンも、チャイ文化圏です。数人でお茶を頼むと、たまに、こんなすてきなポットに入れてくれます。それを、ゆっくりゆっくり、おしゃべりしながら、飲みます。
お茶を大切にすることは、時間を大切にすること、ということを人からきいて、なるほど、と思いました。

この先、何が起こるかわからないのだから、先のことを今全て計画立ててしまわなくてもいいかな、と思うこのごろです。何が起こって、どう変わるのか、わからないのだから、その時々に起こることに身をまかせても、いいかな、って。もちろん、根本にある大切なことは、変えられないけれど。
ここまで来たら、中国のカシュガルへ抜けて、中央アジアへ行こうかと、本気で本気で心が動いてしまった最近。サマルカンド、という地名に心が惹かれて、ウズベキスタンに行きたい、と。

それでも、今回は、インドに戻ろうと思いつつ。正直言うと、インドに戻るのはこわいのですけど。でも、インドでお楽しみが待ってるし。(それはまだ秘密。)

明日は、ギルギットから、バスに24時間揺られ、ラワールピンディに戻ります。首都イスラマバードのとなりまちです。都会に、戻ります。きっと、電気が、毎日くるだろう(と期待する)ところ。

それでは、また。
もうすぐ今年も終わりですね。

2009年11月24日火曜日

最近のこと

イスラムの国を、女性一人で旅することにやりにくさを感じていたときもあったけれど、やっと慣れてきました。女性があまり出歩かない文化で、町を歩いていても8割9割男性なのですが、やっと、一人で食堂も入れるようになりました。もちろん、男の人と一緒にいたほうが、ずっと旅はしやすいのですが。それでも、何とか大丈夫です。

ロシア人120ドル、韓国人32ドル、日本人無料。
何かと言えば、パキスタンのビザ代です。ビザ代は、国と国との関係によって決まっているのでしょうが、それにしても、この差は・・・と思ってしまいます。イスラエル入国したスタンプがパスポートに押されていると、パキスタンには入国できないそうだし、まして、イスラエル人は入国できないし。何か、おかしい、と思いながら。何がおかしいのかは、うまく言葉にはならないのですが。

私自身、何もしていなくても、「日本人」というだけで優遇されるし、あたたかいもてなしを受けることがしばしばです。
日本人としてできることを、と考える最近です。

パキスタンとかアフガニスタンとか、タリバンとか。
これらは、ニュースの中の国で、ニュースの中の組織だと思っていたけれど、私は今パキスタンにいるし、ニュースの中のことではなくなってきました。近くにいる、ということを、肌で感じています。
アフガニスタンに行ったとか、これから行く、という人に数人会い、一緒に行くかい?とオーストラリア人に誘われ。(危ないから行かない、と言ったら、面倒みてあげるから大丈夫、って。相手はタリバンなんだから大丈夫じゃないでしょ・・・)
日本にいたら、テロが起こっただの何だの、危険なことしか耳に入ってこないけれど、ここでは、当然、人が生活しているし、あたたかい人がたくさんいるし、おしゃべりしながらお茶を飲んでいるひとが、あちこちに、います。危険なだけでは、ありません。私からすると、インドよりずっとずっと、数倍、平和です。

人と一緒にいることは、いいことも悪いことも、お互いさまだと思う。ほんとうに、いいことも、悪いことも、お互いさま。お互い、苦手なところを補いあって、助け合っていることが、人と一緒にいることなんだと、思う。先日、スカルドゥまで5日間、人と一緒に過ごしていて思ったこと。

最近、印象的な本をいくつか読みました。
石井光太 『物乞う仏陀』
三浦綾子 『帰りこぬ風』
今読んでいるのは、
カーソン 『沈黙の春』
本も、出会いだと思います。読むべきときに、読むべき本と、出合うこと。

2,3週間でパキスタンからインドに戻ろうと思っていたけれど、予想以上に居心地がよく、ごはんもおいしくもうすぐ1ヶ月。本日、ビザ延長。来月頭にはインドに戻らなくちゃ、と思いながら。

パキスタンに来てよかったと、ほんとうに思います。

2009年11月22日日曜日

バザールをお散歩

ギルギットから、世界で二番目に高い山、K2 のふもとにあるスカルドゥというまちに行ってきました。
うー寒かったー!!!


本日は、バザールお散歩日記です。



スズキ、と呼ばれる乗り物。乗り合いバスのことです。
「スズキに乗って、あそこまで行きなさい」というように。


スズキ、というのは、日本のスズキの軽トラックを改造しているから。それにしても、車会社の名前が、そのまま乗り物の名前になっているというのも、すごい。
よく見ると、かわいい乗り物です。タイヤとか、ガラスとか、窓とか、かわいい。



トマトとバナナと柿。



読めないけど、アラビア文字は美しいといつも思う。


「写真とってくれよー」
「おれはやだよー、はずかしいよー」

と言っている(だろう)おじさんたち。靴屋さんの店先にて。





段ボール、かわいい。

おまけ。帰り道。


山が崩れ、道がなくなる。

このがらがらの道を歩いて進み、バスを乗り換えて帰りました。ほんとにほんとに恐かった。パキスタン人はみんな何でもないような顔をしていたので、よくあることなんでしょうね・・・。道も最強に悪かった。でも、無事着いたので、よかったです。



あぁ楽しかった!

2009年11月20日金曜日

フンザのひとたち

やぎさーん。こんにちはー。


歩いていたら、どこに行くの?うちでお茶飲んでいって、と声をかけてくれた13歳の女の子と、彼女のお姉さん。
すてきな家族だった。



カメラを持ってお散歩してたら、写真とってとって、と近づいてきた男の子たち。
元気な子だったなー。

ハローとバイバイは世界共通語。
学校帰りの女の子たち。



ジャパニーズ イズ マイ 孫、と言ってくれるハイダーじいちゃん。

こちらの人は、しわが深くてそれがとてもすてきだと思う。私も、1年1年きちんといいしわを重ねて、歳をとりたいと思う。

2009年11月16日月曜日

またあした。

またあした。

以前、またあした、ということばが好き、ということを誰かのエッセイで読んだことがあるのですが(どんな本だったかは忘れてしまいました)、私も、このことばが、好きです。最近、より、好きになりました。

フンザに2週間ほど滞在し、まわりにも数週間滞在している人がいて(あまりの景色の美しさ、おだやかで平和な空気とあたたかい人々がまわりにいるから、出られなくなる)、1日の終わりに、毎日、言っていたことばです。知り合った旅行者に、宿のおじさんに、近所にいるひとたちに。

次の日も自分がその場所にいて、相手も同じところにいて、会えるだろうことがわかっているから言えることばで、また相手との時間が過ごせることがわかっているから、言えることばです。翌日も、相手に会えるという安心感があるだけでうれしいものです。特に旅行中は、毎日人と会ったり、すぐ別れたりしているので、確実に相手が翌日もその場所にいるとわかっていることが、幸せなことだとしみじみと感じます。

そのことばが言えるだけで、1日が幸せに終わっていきます。もうフンザを出てしまったから、またあした、と今まで言っていた人たちにそれが言えなくなってしまったけれど。でも、それじゃあまたあした、と言っていた日々があったことが、幸せです。

今ははフンザより少しだけ南の、ギルギットというまちです。ここは、地図によって、パキスタン領だったりインド領だったり。実際は、パキスタンビザがないと来れないところです。そんなところにいます。

それでは、またあした。明日はきっと更新ができませんが、でも、すてきなあしたを。

2009年11月7日土曜日

パキスタンというところ

イスラムの国に来たのは、パキスタンが初めてです。

まず、ここに来て思ったのが、人が、ほんとうに、親切だということ。
インドで近づいてくる人の8割9割は、下心あって(お金を狙って)近づいてくるように思ったのですが、パキスタンに入ると、困っている人がいるから助ける、というか、ただ純粋に、助けてくれる人がとても多いです。

「どこに行きたいんだ?」
「ここ」
「あのバスに乗ってこれを人に見せなさい」(とウルドゥ語で行き先を書いてくれる)、
バスの中でお金を払おうとしても、周りの人が払ってくれてバス代を受け取ってもらえない、
バスを降りてきょろきょろしていると、「ついて来い」と案内してくれる。
そんなことの連続です。そんなことが続く毎日です。

困っている人がいたら助ける、ということを、あたりまえのこととして、してくれます。今までも、どこの国でも、たくさんの人に助けてもらいました。でも、ここでは、イスラムの教えもあるのかもしれませんが、「人を助けることが当然」となっている。それは、ほんとうに、人を好きになれるし、安心して信じることもできるし、あたたかい気持ちで毎日を過ごせるということを感じています。


「パキスタン」という国を、日本にいたときは、危ない国だと思っていました。タリバン勢力によって、自爆テロが起こっていて、情勢の悪いところ、というイメージしか持っていませんでした。
自爆テロが各地で起こっているのは事実で、私がパキスタンに入国してからも何度かあって、でも、ここはそれだけではありませんでした。
あたたかい人がたくさんいて、みんな毎日お茶を飲んだり歌をうたったりおしゃべりしたりして過ごしていて、夕方になるとモスクからコーランがきこえてくる。そんなことがわかっただけで、ここに来て、良かったと思っています。

一人の旅行者として、これ以上、ふつうに生活をしている、パキスタンの人々がみな、落ち着いて暮らせることを願うばかりです。

2009年11月6日金曜日

風の谷



世界には、「ナントカの舞台」という場所があるけれど、ここパキスタン北部のフンザは、「風の谷のナウシカの舞台」と言われているところです。
ラワールピンディから、30時間(!!!)バスに揺られ、フンザにやってきました。
パキスタンから中国のカシュガルまで続く、カラコルムハイウェイと呼ばれる道の途中にあるのですが、この道がただいま工事中で、だからこんなに時間がかかるそうです。(運がよければ17時間、平均24時間、私は30時間!)
おまけに、すごい悪路でした。悪路に割と慣れているはずなのですが、とにかく、悪路でした。地元の人は、数年後はカラコルムハイウェイはきれいになって、ぐっと時間短縮になるよ、と言っているのですが、私からすると、バルセロナのサグラダ・ファミリアよりもこの工事は時間がかかるように見えます。

でも、30時間かけて来た甲斐のあるところです!
朝晩はきりっと寒くて、 日中はちょっとあたたかくなって、だからこんな道を毎日散歩しています。
散歩が楽しくて楽しくて仕方ありません。毎日、おんなじ道を、行ったり来たり。

紅葉が美しくて、ときどき立ち止まっては眺めて、また歩いて、村の人とあいさつをしながら歩いて、また立ち止まって空を見て、山をみて、木を眺めています。

歩いていたら、「チャイ飲むかい?」 「家に寄っていきなよ」 「まぁまぁ座って。」  「これ持っていけ」(とりんごやドライフルーツをもらう)。
どうしてこんなに他意がなく、人に親切にできるのだろう、と思うほど、村の人はあたたかく、「親切」なんて言葉では表せないほど、よそ者をもてなしてくれます。人をもてなす、っていうのは、こういうことだったのか、ということを、ここで知りました。下心とか、何か見返りとか、全く関係なく、あたたかく接してくれます。

今日教えてもらったのですが、イスラムにはこんなことわざがあるそうです。
「一人を助けると、それはみんなを助けたことで、一人を傷つけると、それはみんなを傷つけたことになる」
というような内容の、ことわざ。

村は小さくて、商店がいくつかと、たくさんの宿と、インターネットができる場所は、1ヶ所のみ。
やぎと、ひつじと、牛があちこち歩いています。かさかさ落ち葉を踏む音がして、あ、誰か来たかな、と思ったらひつじの群れだったり。


やぎさんこんにちは。


電気は1日おきです。(隣村と1日交替らしい。たまに2日こなかったり。電気が来たらラッキー!とシャワーに入る。)だから、懐中電灯とろうそくが手放せない生活です。
いつでも電気が止まってもいいように、懐中電灯はかばんの中、ろうそくはベッドの上です。

そんなところにいます。パキスタン北西部や大都市は、何が起こるかわからなくて、危ないところもあるのですが、ここは平和です。

ほんとうにすてきなところにいます。

2009年11月3日火曜日

パキスタン

人は、土地に呼ばれると思う

旅に出る前、なんとなく決めていたルートは、東南アジアをぐるりとしてからチベットを通ってネパール、インド、というところまで。
出発してから約4ヶ月でカトマンズに着き、さぁインドのあとどうしよう、パキスタンか、バングラデシュか・・・と考えているとき、以前アジア横断をした友人からのメール。
「パキスタンに行かないという選択が、私は間違っていると思う。」

そうか、と思い、なんとなくビザ申請。人によっては(運によっては)ビザがおりにくい、と聞いていたパキビザもすぐおりて(パキスタン大使館のビザ係のおじちゃんに、日本語の先生になってくれ、というラブコールつきにて。人によっては、日本大使館からのレターがないとビザが出せない、と言われることもあり、でも日本大使館はレターを出さない方針で、日本大使館で「アイラブパキスタン!プリーズ!!」と10回叫んでレターをもらった人を私は知っている。)あれよあれよ、という間に、なんとなく、パキスタンに向かう方向に、なっていました。

ということで、長い前置きになってしまったけれど、パキスタン。数日前からパキスタンにいます。

情勢が不安定なことはわかっていて、北インドにいるときから、パキスタンに入る時期を伺っていました。危ないところには行きません。危ないことはしません。

来てみたかったのです。
ただ、来てみたかったのです。
インドから国境を越えてほんの数日ですが、来てよかったと、心から思っています。




旅に出てからこの半年近く、一人も岐阜県民に会ってないのですが、出会ってしまいました。
きみも私と同じ町から来たのね・・・と感慨深く、この車を眺めていました。ラワールピンディのバス停にて。

パキスタンに呼ばれたと思っています、きっと、私は。