2011年2月3日木曜日
さよなら1月 こんにちは2月
今日はキューバの風景を。
光陰矢の如し。
日々が過ぎるのがあっという間で、日々ってこんなに早く過ぎていくものだったっけ?と思います。
宿題に追われる日々です。
スペイン語漬けの日々です。
今が勝負だ!と思って勉強しています。
何の勝負かちっとも自分でも分かっていないけれど。
でもスペイン語ってほんとうにおもしろいのです。
最近、おおっ!と思ったのは、「ふたをする」という動詞、tapar。
たぱーる、というのですが、タッパー(入れ物の)ってここから来たのね•••と。
ついでに、「ふた」は、tapa。たぱ。
そんなちっちゃな発見がなんだかとてもおもしろいのです。
2月は、このブログをもう少し頻繁に更新しようと、思っています。
またどうぞよろしくお願いいたします。
2010年12月21日火曜日
キューバ人と、フィデルと、神様と。
キューバ。
楽しいだけではなかったけれど。
とてつもなく野菜不足になるし、ものはたかられるし、バスチケット1枚とるのもインドのような大変さだったし(私は運が悪かったのだと思う)、いい思いだけをしていたのでは実はなかったのだけど。でも、それはどこに行ったって同じ。
ある日、アイス屋にて2人の子を持つ40代のキューバ人女性と知り合いになりました。
英語を話し、会話の内容や服装から、彼女は経済的な余裕のある人でした。
その日、彼女はカメラが壊れたから電化製品の修理工場に行ったという話でした。
彼女が持っていたのは、ソニーのビデオカメラ、ハンディカム。
「これには叔父の誕生日パーティのとき撮ったビデオが入っているんだけどね、どうしてか動かなくなっちゃって、修理工場に行っても『特別な部品が必要で、でもその部品はキューバでは手に入らない』って言われちゃったの」と。
私がそのとき泊まっていた宿の家族はすごくあたたかくていい人たちで、偶然その彼女と宿の家族が知り合いだということがわかったときに彼女が言ったこと。
「いい家族と知り合えたわよね。神様は私たちをいつだって助けてくれるから。信じているわよね?」
"God always helps us, Do you believe that?"
そのとき、あぁ、そうか、と思ったのです。
結局、いいことがあるって信じて生きていかなくちゃいけないんだな、と。
今いる環境の中で、ちょっとしたことに落ち込んでいる場合ではなくって、
前を向いて生きていかないといけないこと。
神を信じる信じないの話ではなく。
私は日本人で、例えば自分の国では彼女のビデオカメラを直せるだろうこと、でも結局そこはキューバでどうしようもできないこと。そのどうしようもなさがなんだかとてもやるせないと思っていたときに言われ、なんだかはっとしたのでした。
今回キューバに行けて、ほんとうにほんとうによかったと思っています。
キューバは、ものがなくて、あちこちぼろぼろだったけれど美しかったです。
それに、いい出会いがたくさんありました。
なんだか、世界の成り立ちのほんのほんの少しを、体で分かったような気がするのです。
実は何も分かっていないのかもしれないけれど、私の中で理解したような気がするのです。
2010年12月19日日曜日
革命から50年と少し
今まで、いくつかの国でたくさんの人に会って、たくさんの笑顔を見せてもらったけれど。
キューバ人の笑顔はなんだか他のどの国の人々の笑顔とも違っていたような気がします。
太陽の光をさんさんと浴びたような、屈託がない、不安さや裏のない、笑顔だったような気がします。
余計なものがそぎ落とされた人、迷いがない、道がきまった人は格好いいといつも思います。
キューバでは、そんな格好いい人によく会いました。
それは、彼らは選択肢がないことからの格好よさなのかもしれません。道が決まっていることの格好よさ。
私たちは選択肢が多すぎるのかもしれない、と思います。だからいつまでたっても迷っている。
何になってどう生きるかも、お金の稼ぎ方にしても遣い方にしても、ものも情報も、選択肢がたくさんあります。
いいこととか悪いこととかではなくて、ただ、世界が違うのだな、と思います。
キューバの人はものも選択肢もなくて、限られた環境の中で笑顔で生きていて、
それは限られた環境だからこそ、幸せに暮らすことに貪欲なのかもしれない、と思います。
限られた環境だからこそ、ものを大切に使うし、今それぞれがいる世界での幸せを見つけ出そうとしている、というか。
2010年12月18日土曜日
普段目にするものの力
2010年12月16日木曜日
I scream HAPPY/ Ice cream HAPPY
キューバのごはんはおいしくないと聞いていました。
「破滅的にまずい」だの、「社会主義的においしくない」だの、「おなかを壊す」だの、
「とにかく食に期待するな」と。(社会主義的な味ってどんなのだろう•••と思うのですが。)
でも、おいしい食事もちゃんとあって、観光客よりも地元の人が行く食堂にも、
おいしいものがちゃんとありました。(外れがなかったとは決して言いません。)
でもそれよりも。おいしかったのはアイスクリーム。
(アイスはごはんではないという意見はとりあえず耳に入れません)
ここはとても人気のアイスクリーム屋さんで、いつも人が並んでいます。
テーブルは4人掛けで、私は1人で行ったのでいつも相席で、同じテーブルを囲んだ人に
毎回同じことを聞かれました。(3回行った、3回とも。)
「アイスクリームはおまえの国にもあるのか。」 ある。
「味はどうなんだ。これと同じか。違うのか。」 ちょっと違うけど、でも私はこれが好き。
そう言うと、そうかそうか、と満足げにうなずきます。
このアイスクリームはキューバの誇りなのだ、とでも言うように。
アイスクリーム、一皿、5CUP(約20円)。
私が食べるのは1皿のみなのですが、ご覧の通りキューバの人はとにかくたくさん頼みます。
後ろのテーブルの、アイスのお皿の山!テーブルいっぱいのアイスのお皿!!
あまりにたくさんのアイスが来るので驚いていたら、同席のおじちゃんは、
「子どもが3人いて、18歳と14歳と10歳で、こんなアイス、家に帰ればみんなで食べて
すぐなくなっちゃうんだ」と言いながら持参の入れ物に入れていました。
老若男女、みんなでアイスを食べて、みんな入れ物に入れてお持ち帰りして。
なんだか、なんだか、キューバっていいな、と素直に思いました。
アイスをみんなが好きっていうその健全さみたいなもの。
こんなにおいしいものがある、っていうそれだけのことの喜び、というか。
それでは、また。
こころあたたかな年末をお過ごしください。
2010年12月12日日曜日
エスプレッソをひとつ
全く期待していなかったのにおいしかったもの、コーヒー。
人が並んでいるところでは並んで、並ばないところではキューバ人に混じって
人の波に負けじと「コーヒーひとつ」。
「あいよ」とカウンターの中のおじさん(もしくはおばさん、もしくは兄ちゃん)は、
コーヒーの受け皿とスプーンを置いてくれます。
日本でアイスクリームを買ったらついてくるような、プラスチックのスプーンを再利用。
だから周りの人のスプーンは白かったり、透明だったり。
私のはこんなにかわいくて、それだけでなんだか「アタリ」な気分でした。
お砂糖。多少何かが欠けている気もしないでもないが。
地元の人が集うお店のコーヒーは大体、1杯0.35〜1ペソ(2円〜4円)。
「お茶文化」のあるところって好きです。
「お茶文化」はすばらしいです。私はお茶文化のないところは暮らせない、って思うぐらいお茶(もしくはコーヒーを)日常で飲む生活が好きです。
2010年12月10日金曜日
キューバというところ
キューバに行ってみたいと思っていました。
それは、映画「ブエナ•ビスタ•ソシアル•クラブ」を見たときから。
老人たちが実に実に楽しそうに演奏していて、生きていて、こんな人たちがいるキューバってどんな国なのだろう、と思ったから。
老人が隅に押しやられていなくて人として生きている社会は、それだけで私はいい社会だと思います。住むのであればそういうところ、と思います。
それに、「社会主義国」の中に入ってみたかったから。
中国もベトナムももう完全な社会主義国ではなく、資本主義の波の中にあるように見えたから。数十年前はいくつかの国が社会主義だったのに、そして社会主義の利点とかいいところもあったはずなのに、気がつけば世界中のほとんどの国は資本主義社会になってしまったから。
今もまだ、アメリカの影響を受けない国というものを見てみたかったから。
だから、キューバ。
私にとって日本からはあまりに遠かったから、中米にいるうちに行っておこう、と思ったので、行ってきました。
着いてまず思ったことは、いろいろなものが、古い、ということ。
古くて、日本だったら処分されてしまいそうなぐらい古くてぼろぼろなものが、あふれていました。建物も、車も、人々が生活で使うものも、とにかく何でも。政府の建物でさえ。
そして、噂通り、ものが少ない、ということ。
スーパーの棚はがらがらだし、少ない商品をうやうやしくガラスケースに入れているし、市場に行っても野菜も果物も、少ない。(キューバ人はあまり野菜を食べないことも関係しているかもしれませんが。)
キューバでは、ものがない中、人々は何でも直しながら再利用しながら生活していました。
車や建物や服や靴を直すのはもちろんのこと、ライターにガスを入れることまで。買い物に行ったら袋がもらえないのは当然だし、例えばパンを買ってもパン屋さんがくれるのはパンをそのままで、みな自分で袋を持ってきたり、もしくはそのまま受け取って手で食べたり。
ある日私の前を横切った自転車があまりにまぶしかったので見てみたら、反射板の代わりとしてCDが自転車の後ろにつけてありました。
あるものでいかに暮らすのか、自分の周りのものでいかに楽しく暮らしやすく生活するのか。
それは必要性から生まれたことかもしれないけれど、キューバ人はそれが長けているということを思いました。
消費型の資本主義社会と、あるものを工夫して使い続ける社会主義社会。
国として、将来のビジョンがはっきりと見えるのはどちらなのだろう、もしまた世界が大きく変わったときに影響や被害をあまり受けずに過ごせるのはどちらなのだろう、ということを考えてしまいます。
どちらがいいとかどちらが悪いとかでは決してないのですけれど。
それでも考えずにはいられません。
2010年12月9日木曜日
こちらの世界とあちらの世界
こんにちは。
昨日、無事キューバから戻ってきました。
いろいろあって、思うこともたくさんあって、何からどう書いたらいいのかよく分からない中なのですが、それでも少しずつ。
おつきあいいただけると幸いです。
とりあえず。
簡単にどんな国かということを箇条書きに。思いつくまま。
(今までこんなことしたこともないし、しようと思ったこともなかったのですけれど、ある意味キューバは「特殊」な国だし、この後のことを読んでもらうのに少し説明しておいた方がいいかな、と思ったので。以下のことの中に、正しくないことや補足があれば教えてくださると幸いです。)
・社会主義国
・人口に対する医師の数は世界一、国民は医療と教育が無料
・平均月収は日本円にして1000円から1500円ほど
・食料自給率は75%
・主要な貿易相手国はブラジル、ベネズエラ、ベトナム、中国
・主要産業は、観光業と砂糖
・アメリカからの経済封鎖のため、アメリカ企業は入っていない(世界中どこでも、本当にどこでも見るコカコーラの看板がない国なのですよ!)
・通貨は2種類、建前上キューバ人用のペソ(CUP)と、外国人が使うペソ(CUC)
・建前では、キューバ人は外国人と一緒に歩くことは禁止
・とてつもなく簡単に歴史を言うと。(すみません、得意じゃないもので)
コロンブスがアメリカ大陸を見つける→スペインから入植者がやってくる→スペイン領→アメリカ領→フィデル•カストロとチェ•ゲバラたちが立ち上がりアメリカ支配下同然だった政府を倒す→社会主義国
(本当はもっともっと戦争だったり細かい歴史があるのですが、とりあえず大まかにざあっと。)
着いて数日は、私は眠たくて仕方ありませんでした。
キューバ着の日は、夜、宿にたどり着きしっかり眠ったにも関わらず、その翌日昼寝を4時間して、その次の日は2時間、その次は30分。午前中少し動き回って昼食を食べると、とてもとても眠たくなって少し横になったらことんと寝ていて。夜も11時ぐらいには寝て、朝は7時半ぐらいに起きる。そんな日々でした。
自分でも不思議なくらいよく眠ること、今までにも何度かありました。
それがあるのは、自分の周りの世界が大きく変わったとき、自分に入ってくるものが大きくて多いとき、だったような気がします。初めて中国に行ったとき、インドに入ったばかりの数日間、ヨーロッパからタイに飛んだとき。
キューバはそんなところでした。
とにかく世界が確実に違っていて、ほんの1時間外を歩くだけでも入って来るものが大きくて多くて。考えることが多くて。
明日はまじめにもうちょっと書きますね。写真も載せますね。
ほんとうは書きたいことがたーんとあるのです。でもうまくまとまらないのです。
だから。また明日です。おやすみなさい。
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