2009年12月29日火曜日

年越しはバラナシで

こんにちは!
私はただいま、バラナシにいます。

恐ろしく恐ろしく寒い夜行列車で、アーグラーからバラナシにやってきました。(夜行の列車もバスも、とてつもなく、寒い。窓を閉めていても常に風があちこちから入ってくる。)寒いし長いし荷物は重いし、へろへろよろよろ・・・とバラナシに着いたのですが、それでも、ここに戻ってこれたこと、すごくうれしかったです。バラナシだ!と思って、えみちゃんと二人、本当はものすごく疲れていながらも、はしゃぎながら(?)過ごしています。

この町は、牛と犬があちこちにいて(インド中、牛と犬なんてどこにでも、本当にどこにでもいるけれど、この町は特に多い気がする。狭い路地にゆうゆうと牛が歩いている。)、「ドコイクノ?」だの、「オネーサン、ニホンドコカラキタノ?」だの、あやしい日本語で話しかけてきてどこまでもついてくるあやしい人たちも、たくさんいるところです。

それでも、ガンガーがあって、その川があるだけで、ほんの些細な気持ちのささくれのようなものが(そんなものほとんどないのだけど)丸くなって、全てが水の流れによってクリアになるような、気がします。
そんなところで年越しを迎えます。

旅で出会った人たち、出発前に笑顔で送り出してくれた人たち、このささやかなブログを読んで下さっている人たち、私の目に見えるものも、見えないものも、全ての人やものごとにありがとうの気持ちです。周りの人たちのおかげで、私はいい一年を過ごすことができました。

去年の今頃は迷いでいっぱいだったけれど、旅に出てきてよかったと思っています。

よいお年をお迎えください。

2009年12月26日土曜日

年末に思うこと

ナマステ。こんにちは。

ただいま私はタージマハルのある町にいます。3ヶ月前もここにいたのですが、タージマハルのそばでの、クリスマスでした。

1年ぐらいの予定で旅に出てきたので、年末年始もどこか外国で迎えることになるだろう、と思ってはいたけれど、本当にそうなるだろうことに自分でも少し驚いています。インドまでたどり着いていることに、7ヶ月半も旅の中にいることに、少し、驚きです。

出発前、今回の旅について決めたことは、東南アジアを通ってチベット、ネパール、インドに行く、ということ。そしてもう1つ、1年という時期が経ったときか、お金がなくなったとき、もしくは新しいものを見ても感激がなくなって新鮮な気持ちで旅ができなくなったとき、旅を終えて帰ろう、ということ。

インドにたどり着いたとき、うひゃあインドっておもしろい、と思った反面、予想していたほどのカルチャーショックはなく、そのことに自分で驚きました。もし日本からひょっこり来たら、もっと驚くことたくさんあったのだろうけれど、ほぼ陸路で周ってきて、国が変わって文化も少しずつ変わってきているけれど、様々なことに自分が慣れすぎているような、感覚が麻痺しているような気がしました。例えば物乞いの多さにも、インド人の強引さや時に過度なフレンドリーさにも、予想していた以上の貧富の差にも、どうしようもない階級社会にも。
あれ、何かがおかしい・・・と。帰るときかもしれないな、と、ほんの少し考えていました。

それが、変わったのはパキスタンに入ってから。
イスラム圏を旅することは今までとは全く違い、スカーフで頭を隠さなければならなかったり女性1人では行動しにくかったりと、やりにくいことはいくつかあっても、私にとって新しいことの連続でした。そして、ヨーロッパから自転車で来たり、中央アジアに行く人だったりイランに行く人だったり、出会う人も自由に旅していて、あ、なんだ、私もっと自由に旅していいんだ、ということを感じ、帰るにはまだ早い、と思いました。


とりあえずインドまで行く、という私のちっちゃな目標が達成され、今は、もっと自由に旅していいかな、ということを思っています。目標があるということは、どこか縛られてしまうことなのかもしれません。1つ目標が達成されると、ほんの少し、自由になります。

来年は、行きたいところに行って、自由に自由に旅しようと思っています。
いつでも世界をまっすぐ見ていたいと思っています。

そして日本に帰ろうと思っています。
日本に帰るのは、とてもとても楽しみです。
帰って、会いたい人たちがたくさんいる、ということの幸せを思います。

年末でお忙しいときでしょうが、読んでくださっていて、ありがとうございます。
読んでくれる人がいるということが、いつもうれしいです。

2009年12月22日火曜日

犬とバスと

ダラムサラの犬はどこでも寝ています。

ここで寝るとドアが閉められないのですが・・・。
あの・・・。



デリーに戻ってまいりました。
相変わらずの、騒がしくてごみごみしてて空気の悪い、デリーです。
でも、ほんの少しでも知っている町に戻ってくる、ということは少しうれしいです。
昨日わかったこと。
辛いものは日々食べ続けて強くなる。

明日ぐらいにはまた移動です。
それでは、また。

2009年12月18日金曜日

写真について思うこと

写真を撮ることが、好きです。
そんなに上手ではないし、どんな写真が「いい写真」と呼ばれるのか、全くわからないけれど。

写真に興味を持ち出したのは、20歳を過ぎたあたりから。急に、フォトグラファーというか、写真をやっている人と知り合うことが増えたから。岐阜県とか高知県に住んでいて、日常生活の中で、フォトグラファーと呼ばれる人と知り合うことはそうそうないのに、なぜか、旅先で、とか、友人の友人、とか、知り合うことが度々あり、その人たちの写真を見せてもらっているうちに、興味を持つようになりました。

写真はカメラのシャッターを押せば誰でも撮れるからね、なんてことを聞いたことがあるけれど、その人しか撮れないものも絶対に確実にあると思っています。

ラホールで、写真を撮って本を作ろうとしているオーストラリア人に会いました。彼の写真を見せてもらうと、私もそのとき毎日歩いていたラホールが違う街のように見えました。あれ、外ってこんなに美しかったんだ、と。

その人がどんな視線で、どんな角度でものを見ているのかがはっきりとわかります。その人の視線の先にあるものがよくわかります。同じところにいても、見ているものは違います。写真を見たらそれがわかる、と思います。 
だから、写真っておもしろい、とおもいます。こんなにも人が出るということを、最近やっと思うようになりました。

今回の旅でも、本当に不思議なことに、写真を撮っている方に(職業として、とか、作品を作るために、とか)よく出会います。出会いは不思議です。


実はレンズが壊れていますががんばって働いてもらっています。

重いし大きいし荷物になるのですが、持ってきてよかったと思っています。

私のつたない写真から、あぁ、この人はこんなものを見ているのね、と思っていただけると幸いです。

あちこちの国の風を感じていただけると幸いです。

2009年12月17日木曜日

ダラムサラの日々



''Carpe Diem”って高校のときの先生がよくつぶやいてたなぁと思いつつ。
(見えます?左側のレストランの名前です)
Seize the Day.

前を通るたび手をふってあいさつしてくれるおじいさん。

冷蔵庫の上の人形を指さし、「ハウマッチ?」ときく友人。
それ売り物じゃあないけど・・・。お店のおじさんあせって「ノーノー!」

私たちの部屋によく遊びに来て寝てる犬。(私たちは「お父さん」と呼んでいる)
あんまり気持ちよさそうなので、まゆげ書いて、めがねかけて、宮沢賢治の詩集読ませて、遊んでいる私たち。
去年の年末は(と言っても年末はいつだって)忙しかったなー、と思いながら。
仕事に、年賀状に、片付けに、何やかやと。
こんな穏やかな日々が続いていることが、とても贅沢に思います。

2009年12月14日月曜日

ダラムサラより

こんにちは。
ダラムサラという、チベットの人がたくさん住む地域にやってきました。
再びの、チベット文化圏です。


ここに来て思ったのは、チベットの人はやっぱり美しい、ということ。

何が美しいのか、うまくことばにはならないのですが、人がぴんとしている感じです。
物腰がやわらかく、控えめで、自己主張も強くなく、日本人に通ずるところがあって、そんなところに美しさを感じるのかもしれないし、居心地のよさを感じるのかもしれません。
(物腰がやわらかくて控えめで自己主張がそこまで強くない、ってインド人と反対だ・・・と今思いました)

非常に、インドっぽくない、ところです。

ここで、友人のえみちゃんに会いました。はるばる、イエメンから遊びに来てくれました。

えみちゃんは、5年前、ラオスに行ったときに首都のビエンチャンで会いました。それからしばらく一緒にいて、日本でもお隣の県に住んでいたので何度か会って、ここで、再会です。

彼女はトータル5ヶ月ぐらいはイエメンに滞在しています。「私がイエメンを好きなのか、イエメンが私を好きなのか、わからないんだよね。」って言いながら。

ここで会う約束はしていたけれど、ここはインドのダラムサラで、本当に会えてしまうことがうそみたいです。彼女はイエメンから一旦帰国後、日本にいて、またイエメンに行って、私はここしばらくアジアをうろうろしていて、約1年半ぶりなのですが、ほんとうに相手が存在していたんだ、ということが信じられなくてうれしくて、です。

ここで、しばらく、えみちゃんとのんびりしていようと思っています。

それでは、また。

日本は寒いようですが、ここダラムサラも、寒いです。でも、こころあたたかく、日々をすごしています。

2009年12月9日水曜日

パキスタンからインドへ

国境を抜けると、そこはインドだった。

と川端康成的に始めてみましたが、国境のゲートを一歩出た途端、私たち(ラホールの宿で会ったスウェーデン人と私)の周りを、5,6人のインド人がとりかこみ、
「タクシー?タクシー?」
「DVD?DVD? ポストカード?」
「チェンジマネー?」
「どこ行くんだ?リキシャー?」
と迎えてくれました。立ち止まって私たちが話をしようとすると話に割り込んでくるし、どこまでもどこまでもついてくるし。笑っちゃうくらい、そういえば、インドってこんなのだった・・・と、気合を入れてくれる国境を越え、インドに戻ってまいりました。

私がラワールピンディを出た4日後に、ラホールを出た翌日に、それぞれの町で自爆テロが起こりました。
私が無事だったことや、自分の目の前に映る光景が平和だったのは、自分が幸運以外の何でもなかったんだ、ということを思います。平和だなんて言うのは不謹慎かもしれないけれど、でも私には、そこは平和に感じたのです。人々が穏やかに暮らしているという意味において。
結局、私は旅行者としての視線でしかものを見ることができないことを、仕方ないとわかっていながらも、時々悔しく思います。私には見えない、もしくは見ていない、現実がある、ということをよく思います。


インド側の国境の町は、アムリトサル。ここでも、パキスタンで出会った何人もに再会しました。

パキスタンで何度も出会ったオランダ人と、「また会ったねー!」とヨーロッパ式のあいさつ(ほっぺを合わせて耳元でキス)をしていたときのこと。
「ヨーロッパの人は、こうやって、右、左と2回キスをするでしょ。」
うん。
「オランダ人はね、もう一回、戻って、ちゅって。3回。」(Back again,って。)
うわー、ステキだー!!!と思ったので、ご紹介。

あちこちで出会った人たちが、それぞれ無事でいい旅をしているということを知るのは、とてもうれしいのです。私もいい旅を続けなくちゃ、と思うのです。

私は今日、インド北部のダラムサラというところに着きました。
それでは、また。

2009年12月7日月曜日

さよならパキスタン

昨日、国境を越えて、無事インドまで戻ってきました。
2,3週間の滞在予定だったのが、パキスタンにいたのは、約5週間。

この国の全てを見たわけでも知っているわけでもないし、私は一人の旅行者としてしかものを見ることができないけれど、思ったことは、誤解を恐れずに言えば、「ここは平和だ」ということ。

平和、というのは、争いごとがない、という意味ではなく、人々が穏やかに暮らしている、という意味において。
おじさんたちはお茶を飲みながらよく笑っているし、珍しい外国人に子供たちは興味深々だし、女性はスカーフで頭を(時には目以外の全てを)隠しながらも「ハロー」と言ってくれるし、独身の男の人たちは気になっている女の子をどう口説くか一日中本気になって考えているし。
どこの国にもある、ふつうの、穏やかな生活が、ここにもありました。

この国の政治や外交には、問題が山積みなのかもしれません。
でも、困っている人がいたら助けるとか、人をもてなすとか、男性同士は握手して抱き合ってあいさつするとか、他者に対してこんなにもあたたかく愛情を持って接する人々がたくさんいるということが、少しずつでも着実に、この国がよい方向に向かっているような気がするのです。

自分が何も知らないことは百も承知で、ホットミルクの膜みたいに上の方しか触れていないこともわかっているし、こんなに気楽なことを言っていられないのかもしれません。
それでも、私は、パキスタンは、危ないだけのところではない、と思っています。迷ったけれど、行ってよかったと、思っています。

イスラムの宗派の違いによってこれ以上の対立が起きないこと、パキスタンの人々が安心して日常生活を送れる世の中になることを、心の底より願うばかりです。

2009年12月6日日曜日

2009年12月3日木曜日

夜、アイスクリームストリートに。

こんにちは。

ただいま、インドとの国境すぐ近くのまち、ラホールにいます。
シーズンオフの上、情勢の悪さから旅行者も少なく、バックパッカーが集まるところも限られているので、あちこちで出会った人と、ここで再会。Everyone is here!という状態です。


ここで3度目の再会をしたオーストラリア人との会話。
「今日の夜、夜ご飯のあと、アイス食べに行かない?」(近くに、アイスクリームストリートという、すばらしい通りがあって、アイス屋がひしめいている)
「行く!でも、何で、夜なの?」
「だって・・・楽しいじゃないか。夜、アイスクリームだよ!?それを考えただけで、1日楽しいだろう?」
・・・たしかにね。納得して、夜9時半の、アイスクリーム。体に悪いものはおいしい。


パソコンをさわりながら、チョコレートを食べていた、イギリス人のおじさん。
「チョコレート食べるかい?」
(私はちょっと遠慮して)「いいです、ありがとう。夜ご飯もうすぐだし。」
「女の子というのは、だれでも、チョコレートが好きなはずなのに・・・おかしい・・・」とつぶやく。
それにしても、女の子は、みんな、チョコが好きなのでしょうか?ほんとう?
チョコは大好きなのですが、がまんが必要なときもある。

いつも歌って踊っている、ベネズエラ人の男の子が教えてくれたこと。
「いいかい、お酒を何かで割って、かき混ぜるときに、指をグラスにつっこんでかき混ぜていたら、それはベネズエラ人だよ。」
イスラムの国で、どこかからかこっそりと手に入れたお酒を飲みつつ、教えてくれました。ベネズエラの人に会ったのは彼が初めてだったのだけど。


そんなこんなの日々を過ごしております。
あと数日でインドに戻ります。


今日、ふと思ったこと。

私が、今、しあわせだと思ったことは、立ち止まる時間がたくさんあるということ。
好きな景色に、うつくしいものに、滞在したい場所に。立ち止まれることが、幸せだな、と。

この先、こんな時間が1年間も持てる時期なんて、そうないはずですし。
きっと、人生に、1度きり。
だから思う存分立ち止まってみたいと思ってます。



ギルギットのまちを走る、河口湖ホテルの、車。
不思議なほど、街になじんでいました。

2009年11月30日月曜日

都会の片隅にて

ギルギットからラワールピンディまで、24時間、と聞いていたバスですが、かかった時間は、合計32時間。
途中山が崩れて道がつぶれ、その修復に山道で9時間バスが止まり、32時間、です。日本だったら、あっという間に、迂回する道ができて、警備員がきて、何もなかったかのように車が動くだろう・・・ということを頭の片隅で想像したのですが、ここはパキスタンですし、日本だったら、なんてことを考えても仕方のないことです。無事着いたし、頭の上に岩が落ちてきたわけではないし、よかった、といえばそうなのですが。
それにしても、これだけの時間をかけてでも、パキスタン北部は行く価値のあるところだと思います。ほんとに、本気で。電力は安定しないのですが、そのおかげで、プラネタリウムみたいな星空が見えます。山の稜線があんなに美しいものだということを、私はフンザで初めて知りました。

最近、旅のスピードが、ゆっくりになってきました。ちょっとぼーっとしていると、1週間などあっという間に過ぎていきます。東南アジアにいたときは、3,4泊したら、そろそろ次の町に行かなくちゃ、と思っていたのに。

最近ゆっくりになってきたので、そろそろ、きちんと動かなくちゃ、と思いつつ過ごしています。
動くことは大切です。動かないと景色は何も変わらないし。

「冒険はしてみるものなのだ
経験が、きっと前進につながるから」

この言葉をつぶやきつつ、もうすぐインドに戻ります。気合いと体力のいるところです。なんたって、インドですから。嫌いじゃないのですけれど。でも、ちょっと、気をひきしめないと。なんたって、インドですから。

よく考えると、ここは、今、「世界で最も自爆テロが起こっている国」です。日本のJICAもこの国から撤退してしまったほど、情勢が不安定な、ところ。
私の目の前は平和なことだらけでも、確実に、平和でないことも起こっている。平和に生きてきた人たちが、テロに巻き込まれてしまうことも、ある。
それぞれの求める「平和」や「幸せ」や「正義」を追求するあまり、殺し合いが起こるなんてなんて皮肉なことなんだろう、と思います。そんなこと、神様は望んでいないはずだと思っています。

最近、とりとめのないことばかり書いているこのブログですが、読んでくださってありがとうございます。師走ですが、走ってばかりではなく、たまには立ち止まって、また読みにきてくださるとうれしいです。

2009年11月26日木曜日

お茶を飲む文化について、と、ふと思ったこと


「一杯のお茶を上手に淹れることができるなら、あなたは何だってできる」
というイスラムのことわざがあると、以前本で読んだことがあります。
お茶を飲むことを大切にする文化ってすてきだと、いつも思います。パキスタンも、チャイ文化圏です。数人でお茶を頼むと、たまに、こんなすてきなポットに入れてくれます。それを、ゆっくりゆっくり、おしゃべりしながら、飲みます。
お茶を大切にすることは、時間を大切にすること、ということを人からきいて、なるほど、と思いました。

この先、何が起こるかわからないのだから、先のことを今全て計画立ててしまわなくてもいいかな、と思うこのごろです。何が起こって、どう変わるのか、わからないのだから、その時々に起こることに身をまかせても、いいかな、って。もちろん、根本にある大切なことは、変えられないけれど。
ここまで来たら、中国のカシュガルへ抜けて、中央アジアへ行こうかと、本気で本気で心が動いてしまった最近。サマルカンド、という地名に心が惹かれて、ウズベキスタンに行きたい、と。

それでも、今回は、インドに戻ろうと思いつつ。正直言うと、インドに戻るのはこわいのですけど。でも、インドでお楽しみが待ってるし。(それはまだ秘密。)

明日は、ギルギットから、バスに24時間揺られ、ラワールピンディに戻ります。首都イスラマバードのとなりまちです。都会に、戻ります。きっと、電気が、毎日くるだろう(と期待する)ところ。

それでは、また。
もうすぐ今年も終わりですね。

2009年11月24日火曜日

最近のこと

イスラムの国を、女性一人で旅することにやりにくさを感じていたときもあったけれど、やっと慣れてきました。女性があまり出歩かない文化で、町を歩いていても8割9割男性なのですが、やっと、一人で食堂も入れるようになりました。もちろん、男の人と一緒にいたほうが、ずっと旅はしやすいのですが。それでも、何とか大丈夫です。

ロシア人120ドル、韓国人32ドル、日本人無料。
何かと言えば、パキスタンのビザ代です。ビザ代は、国と国との関係によって決まっているのでしょうが、それにしても、この差は・・・と思ってしまいます。イスラエル入国したスタンプがパスポートに押されていると、パキスタンには入国できないそうだし、まして、イスラエル人は入国できないし。何か、おかしい、と思いながら。何がおかしいのかは、うまく言葉にはならないのですが。

私自身、何もしていなくても、「日本人」というだけで優遇されるし、あたたかいもてなしを受けることがしばしばです。
日本人としてできることを、と考える最近です。

パキスタンとかアフガニスタンとか、タリバンとか。
これらは、ニュースの中の国で、ニュースの中の組織だと思っていたけれど、私は今パキスタンにいるし、ニュースの中のことではなくなってきました。近くにいる、ということを、肌で感じています。
アフガニスタンに行ったとか、これから行く、という人に数人会い、一緒に行くかい?とオーストラリア人に誘われ。(危ないから行かない、と言ったら、面倒みてあげるから大丈夫、って。相手はタリバンなんだから大丈夫じゃないでしょ・・・)
日本にいたら、テロが起こっただの何だの、危険なことしか耳に入ってこないけれど、ここでは、当然、人が生活しているし、あたたかい人がたくさんいるし、おしゃべりしながらお茶を飲んでいるひとが、あちこちに、います。危険なだけでは、ありません。私からすると、インドよりずっとずっと、数倍、平和です。

人と一緒にいることは、いいことも悪いことも、お互いさまだと思う。ほんとうに、いいことも、悪いことも、お互いさま。お互い、苦手なところを補いあって、助け合っていることが、人と一緒にいることなんだと、思う。先日、スカルドゥまで5日間、人と一緒に過ごしていて思ったこと。

最近、印象的な本をいくつか読みました。
石井光太 『物乞う仏陀』
三浦綾子 『帰りこぬ風』
今読んでいるのは、
カーソン 『沈黙の春』
本も、出会いだと思います。読むべきときに、読むべき本と、出合うこと。

2,3週間でパキスタンからインドに戻ろうと思っていたけれど、予想以上に居心地がよく、ごはんもおいしくもうすぐ1ヶ月。本日、ビザ延長。来月頭にはインドに戻らなくちゃ、と思いながら。

パキスタンに来てよかったと、ほんとうに思います。

2009年11月22日日曜日

バザールをお散歩

ギルギットから、世界で二番目に高い山、K2 のふもとにあるスカルドゥというまちに行ってきました。
うー寒かったー!!!


本日は、バザールお散歩日記です。



スズキ、と呼ばれる乗り物。乗り合いバスのことです。
「スズキに乗って、あそこまで行きなさい」というように。


スズキ、というのは、日本のスズキの軽トラックを改造しているから。それにしても、車会社の名前が、そのまま乗り物の名前になっているというのも、すごい。
よく見ると、かわいい乗り物です。タイヤとか、ガラスとか、窓とか、かわいい。



トマトとバナナと柿。



読めないけど、アラビア文字は美しいといつも思う。


「写真とってくれよー」
「おれはやだよー、はずかしいよー」

と言っている(だろう)おじさんたち。靴屋さんの店先にて。





段ボール、かわいい。

おまけ。帰り道。


山が崩れ、道がなくなる。

このがらがらの道を歩いて進み、バスを乗り換えて帰りました。ほんとにほんとに恐かった。パキスタン人はみんな何でもないような顔をしていたので、よくあることなんでしょうね・・・。道も最強に悪かった。でも、無事着いたので、よかったです。



あぁ楽しかった!

2009年11月20日金曜日

フンザのひとたち

やぎさーん。こんにちはー。


歩いていたら、どこに行くの?うちでお茶飲んでいって、と声をかけてくれた13歳の女の子と、彼女のお姉さん。
すてきな家族だった。



カメラを持ってお散歩してたら、写真とってとって、と近づいてきた男の子たち。
元気な子だったなー。

ハローとバイバイは世界共通語。
学校帰りの女の子たち。



ジャパニーズ イズ マイ 孫、と言ってくれるハイダーじいちゃん。

こちらの人は、しわが深くてそれがとてもすてきだと思う。私も、1年1年きちんといいしわを重ねて、歳をとりたいと思う。

2009年11月16日月曜日

またあした。

またあした。

以前、またあした、ということばが好き、ということを誰かのエッセイで読んだことがあるのですが(どんな本だったかは忘れてしまいました)、私も、このことばが、好きです。最近、より、好きになりました。

フンザに2週間ほど滞在し、まわりにも数週間滞在している人がいて(あまりの景色の美しさ、おだやかで平和な空気とあたたかい人々がまわりにいるから、出られなくなる)、1日の終わりに、毎日、言っていたことばです。知り合った旅行者に、宿のおじさんに、近所にいるひとたちに。

次の日も自分がその場所にいて、相手も同じところにいて、会えるだろうことがわかっているから言えることばで、また相手との時間が過ごせることがわかっているから、言えることばです。翌日も、相手に会えるという安心感があるだけでうれしいものです。特に旅行中は、毎日人と会ったり、すぐ別れたりしているので、確実に相手が翌日もその場所にいるとわかっていることが、幸せなことだとしみじみと感じます。

そのことばが言えるだけで、1日が幸せに終わっていきます。もうフンザを出てしまったから、またあした、と今まで言っていた人たちにそれが言えなくなってしまったけれど。でも、それじゃあまたあした、と言っていた日々があったことが、幸せです。

今ははフンザより少しだけ南の、ギルギットというまちです。ここは、地図によって、パキスタン領だったりインド領だったり。実際は、パキスタンビザがないと来れないところです。そんなところにいます。

それでは、またあした。明日はきっと更新ができませんが、でも、すてきなあしたを。

2009年11月7日土曜日

パキスタンというところ

イスラムの国に来たのは、パキスタンが初めてです。

まず、ここに来て思ったのが、人が、ほんとうに、親切だということ。
インドで近づいてくる人の8割9割は、下心あって(お金を狙って)近づいてくるように思ったのですが、パキスタンに入ると、困っている人がいるから助ける、というか、ただ純粋に、助けてくれる人がとても多いです。

「どこに行きたいんだ?」
「ここ」
「あのバスに乗ってこれを人に見せなさい」(とウルドゥ語で行き先を書いてくれる)、
バスの中でお金を払おうとしても、周りの人が払ってくれてバス代を受け取ってもらえない、
バスを降りてきょろきょろしていると、「ついて来い」と案内してくれる。
そんなことの連続です。そんなことが続く毎日です。

困っている人がいたら助ける、ということを、あたりまえのこととして、してくれます。今までも、どこの国でも、たくさんの人に助けてもらいました。でも、ここでは、イスラムの教えもあるのかもしれませんが、「人を助けることが当然」となっている。それは、ほんとうに、人を好きになれるし、安心して信じることもできるし、あたたかい気持ちで毎日を過ごせるということを感じています。


「パキスタン」という国を、日本にいたときは、危ない国だと思っていました。タリバン勢力によって、自爆テロが起こっていて、情勢の悪いところ、というイメージしか持っていませんでした。
自爆テロが各地で起こっているのは事実で、私がパキスタンに入国してからも何度かあって、でも、ここはそれだけではありませんでした。
あたたかい人がたくさんいて、みんな毎日お茶を飲んだり歌をうたったりおしゃべりしたりして過ごしていて、夕方になるとモスクからコーランがきこえてくる。そんなことがわかっただけで、ここに来て、良かったと思っています。

一人の旅行者として、これ以上、ふつうに生活をしている、パキスタンの人々がみな、落ち着いて暮らせることを願うばかりです。

2009年11月6日金曜日

風の谷



世界には、「ナントカの舞台」という場所があるけれど、ここパキスタン北部のフンザは、「風の谷のナウシカの舞台」と言われているところです。
ラワールピンディから、30時間(!!!)バスに揺られ、フンザにやってきました。
パキスタンから中国のカシュガルまで続く、カラコルムハイウェイと呼ばれる道の途中にあるのですが、この道がただいま工事中で、だからこんなに時間がかかるそうです。(運がよければ17時間、平均24時間、私は30時間!)
おまけに、すごい悪路でした。悪路に割と慣れているはずなのですが、とにかく、悪路でした。地元の人は、数年後はカラコルムハイウェイはきれいになって、ぐっと時間短縮になるよ、と言っているのですが、私からすると、バルセロナのサグラダ・ファミリアよりもこの工事は時間がかかるように見えます。

でも、30時間かけて来た甲斐のあるところです!
朝晩はきりっと寒くて、 日中はちょっとあたたかくなって、だからこんな道を毎日散歩しています。
散歩が楽しくて楽しくて仕方ありません。毎日、おんなじ道を、行ったり来たり。

紅葉が美しくて、ときどき立ち止まっては眺めて、また歩いて、村の人とあいさつをしながら歩いて、また立ち止まって空を見て、山をみて、木を眺めています。

歩いていたら、「チャイ飲むかい?」 「家に寄っていきなよ」 「まぁまぁ座って。」  「これ持っていけ」(とりんごやドライフルーツをもらう)。
どうしてこんなに他意がなく、人に親切にできるのだろう、と思うほど、村の人はあたたかく、「親切」なんて言葉では表せないほど、よそ者をもてなしてくれます。人をもてなす、っていうのは、こういうことだったのか、ということを、ここで知りました。下心とか、何か見返りとか、全く関係なく、あたたかく接してくれます。

今日教えてもらったのですが、イスラムにはこんなことわざがあるそうです。
「一人を助けると、それはみんなを助けたことで、一人を傷つけると、それはみんなを傷つけたことになる」
というような内容の、ことわざ。

村は小さくて、商店がいくつかと、たくさんの宿と、インターネットができる場所は、1ヶ所のみ。
やぎと、ひつじと、牛があちこち歩いています。かさかさ落ち葉を踏む音がして、あ、誰か来たかな、と思ったらひつじの群れだったり。


やぎさんこんにちは。


電気は1日おきです。(隣村と1日交替らしい。たまに2日こなかったり。電気が来たらラッキー!とシャワーに入る。)だから、懐中電灯とろうそくが手放せない生活です。
いつでも電気が止まってもいいように、懐中電灯はかばんの中、ろうそくはベッドの上です。

そんなところにいます。パキスタン北西部や大都市は、何が起こるかわからなくて、危ないところもあるのですが、ここは平和です。

ほんとうにすてきなところにいます。

2009年11月3日火曜日

パキスタン

人は、土地に呼ばれると思う

旅に出る前、なんとなく決めていたルートは、東南アジアをぐるりとしてからチベットを通ってネパール、インド、というところまで。
出発してから約4ヶ月でカトマンズに着き、さぁインドのあとどうしよう、パキスタンか、バングラデシュか・・・と考えているとき、以前アジア横断をした友人からのメール。
「パキスタンに行かないという選択が、私は間違っていると思う。」

そうか、と思い、なんとなくビザ申請。人によっては(運によっては)ビザがおりにくい、と聞いていたパキビザもすぐおりて(パキスタン大使館のビザ係のおじちゃんに、日本語の先生になってくれ、というラブコールつきにて。人によっては、日本大使館からのレターがないとビザが出せない、と言われることもあり、でも日本大使館はレターを出さない方針で、日本大使館で「アイラブパキスタン!プリーズ!!」と10回叫んでレターをもらった人を私は知っている。)あれよあれよ、という間に、なんとなく、パキスタンに向かう方向に、なっていました。

ということで、長い前置きになってしまったけれど、パキスタン。数日前からパキスタンにいます。

情勢が不安定なことはわかっていて、北インドにいるときから、パキスタンに入る時期を伺っていました。危ないところには行きません。危ないことはしません。

来てみたかったのです。
ただ、来てみたかったのです。
インドから国境を越えてほんの数日ですが、来てよかったと、心から思っています。




旅に出てからこの半年近く、一人も岐阜県民に会ってないのですが、出会ってしまいました。
きみも私と同じ町から来たのね・・・と感慨深く、この車を眺めていました。ラワールピンディのバス停にて。

パキスタンに呼ばれたと思っています、きっと、私は。

2009年10月30日金曜日

What I think about India


インドに来てもう1ヶ月以上経つのに、インドのことをあまり書いていなかったような気がするので、今日は、インドについて思うこと。

インドは、人をうつす鏡のようなところだと思います。

前も書いたけれど、人をどこまで信じられるのか、は自分をどこまで信じられるか、ということだし、しつこくてうるさいインド人に対して(インド人のしつこさはそれはもう、半端ではない)どこまで寛容になれるか、とか、どこまで人に対して優しくなれるのか、とか、どれくらいこの国に対してとけこむことができるのか、とか。
私はまだまだ修行中の身です。

先日、道端で指輪を買いました。
5ルピー(10円)の、ゆびわ。
下心のあるインド人が近づいてこなくなる、ときいていたので、左手の薬指に。
お金とかビザとか体とか、そんなものを目当てに日本人女性に近づくインド人が多いようです。
「ハロー」のあと、「どこから来た?」と聞かれ、日本と答えると、「インド人ボーイフレンドはいるかい?」と。会って10秒です。一体どうなってるんだこの国は・・・と思うのですが、とにかく、そんな人たちに、効果抜群です。
そんなところです。インド。
どこに行っても人に囲まれ、どこから来ただの、ハッパはいるかいだの、明日どこ行くんだだのと話しかけられ、道を歩けば 物乞いがついてくる。チカンも多く、いやな思いもしたことはあるし、それでも、インド人に助けてもらったことも、1度や2度ではなく。
嫌いになれない、ところです。

気がつくと(今さら気がついてる場合じゃあないのですが)11月ですね。立派な、すてきな、秋の時期です。
すてきな秋をおすごしください。

2009年10月27日火曜日

Chaiholic


chaiholicなんて単語が辞書にのってるのかどうか知らないけれど、私はちょっと、chaiholic。
(-holicで、中毒の、とか、・・・がとても好きで手放せない、とか、そんな意味です。)



牛さんに道をとうせんぼされる。通ろうとするとしっぽではたかれる。



ガンガーの、ガート(沐浴場)にて。沐浴する人も、お花売りも、サドゥーも、観光客も、みんな川に向かっています。



夕暮れ。
川のある町、好きです。
人の生活に密着しているところは、美しい、と思います。たとえチョコレート色をしていても、美しい。メコンもガンガーも、美しい。

2週間ほどリシュケシュにいたのですが、そろそろ西へ向かいます。

2009年10月22日木曜日

最近出会った人たちのこと

今日は、最近出会った人の話。

ネパールで出会ったルーマニア人の女の子が、まっすぐ前を向いて、はっきりと、言っていたこと。"Every happening has meaning."起こることは全て、意味のあることだから、と。

その人の強さは、顔に出る、ということを教えてくれたのは、中国の成都で出会った女性。彼女は、チベットの聖山カイラスへ行くのに、自分で旅行会社とやり取りし、ツアーメイトを募集し、興味を持った人が来ればそのツアーを説明し。気持ちの強さは、ことばにしなくても、人に伝わる。

backpackerという名前のギターを持った、男の子。彼はゴザや尺八や木刀や、その他いろいろなものをたくさんたくさん持っていて、荷物は約30キロ(!!!)。でも、自分で音楽を奏でることができる、って少しうらやましいです。荷物は少ない方が、旅は身軽にできるけれど、生活を楽しくするものをたくさん持っているのも、いいなぁ、って。

その彼に影響を受け、楽器を持って旅がしたい、とハーモニカを買った男の子。そのハーモニカの名前は、"Hero"。「スナフキンになろうと思って」と。

「もう男なんていらない」と言いながらも、ジュース屋さんのインド人の男の子を「かわいい」と、毎日会いに行く女のひと。人を好きになる気持ちはいつだってすてきです。恋せよ乙女命短し。

群馬で6年働いていた、ネパール人のおじさん。「日本、ほんっとにいいところですね。大好きです。」と。日本で働く外国人労働者の待遇は、あまりいいものでなかっただろう、ということを想像するのですが、それでも、心の底からそんなことを言ってくれました。

しつこいしつこいインドのお土産やさんの男の子。私が、「じゃあねー」と言うと、彼は、「いつ来るの?After dinner? Tomorrow? Next week? Next month? Next life?」って。

世界の広さを思うのは、文化や風習や人々や、そういったものからも思うのですが、でもそれ以上に、出会う人によって、世界は広い、と感じているような気がします。


私は体は丈夫で、普段はちょっとやそっとでは体調を崩さないのですが、ここ2日ほど、体調を崩して寝込んでいました。疲れなのか、風邪なのか、原因はよくわからないけれど。今は、熱は下がり、まだ声は出ないけれど、とりあえず復活しています。

その中で気づいたこと、二つ。ほんとうにしんどいときには、本を読むとか文字を読むこともできなくて、ただ、横になることしかできない、ということと、「喋る」ということは、とても、エネルギーとか、パワーがいる、ということ。

こちらで知り合った人たちに、薬をもらい、のど飴をもらい、フルーツをもらい。周りの人に助けられています。

読んで下さっている方々、日本も、寒そうですが、風邪の季節ですが、お体にお気をつけくださいね。

2009年10月19日月曜日

楽しむことと、はじまりについて。


こんにちは。
インドは、牛が、どこにでも、います。牛を見ない日など、ないほど、あちこちを、のっしりと。実に堂々と。

ただいまリシュケシュというまちにいます。ヨガのクラスがあちこちにあるので、習いに行ってみたり、散歩をしたり、読書をしたり。洗濯をしたり、チャイを飲んだり、おしゃべりしたり。
ヨガは、まだまだ初心者です。片足で立ってるとふらふらしちゃうし、筋肉もないので(本当は筋肉なんて必要ないのかもしれないのですが)難しいことは何もできないまま。それでも、体を動かすことに集中することは、気持ちのいいことです。


「楽しむことをあきらめない」
これは何かのキャッチコピーだったような気がするのですが、私にとっては印象的な言葉です。

楽しむことを努力する、というのはおかしな言い方かもしれません。
楽しむことは、努力することでは決してなくて、自然と感じることなのかもしれません。
それでも、楽しもうとする努力によって、自分の周りのこと、目の前で起きていることの、色や、見方が変わっていくように思っています。周りを楽しもうとする気持ちによって、楽しむことが、できる、と。
いやなこととか、つらいことがあっても、やっぱり楽しむことはいつだって大切だと思います。
楽しもうとしないと、いいことはよってこない、と思いながら、日々を過ごしています。


今日読んでいた、とある紀行文の、冒頭。

遠い異国の空の下で寝ころんでみたいと思ったのがはじまり。

私の場合は。

朝起きて、その日の予定をそのとき決められるような旅がしたいと思ったのがはじまり。

はじまりのきっかけはいろいろあるのですが、何かのはじまりを考えてみるのも、おもしろいことです。今自分がやっていることのはじまりを。

2009年10月17日土曜日

ちからのみなもと

ナマステ。

ただいま、リシュケシュというまちにいます。ヨガのまちです。ビートルズも修行したというところです。私もヨガをほんの少しだけ、習うつもりです。騒がしいインドの中で、良くも悪くもいろいろなものに慣れてしまって、感覚が麻痺してきた自分に、リフレッシュの日々。

先日、友人からこんなメールをいただきました。うれしかったので、コピーペースト。


今、こうして部屋でキーボードをたたいている瞬間も春菜ちゃんが 世界の全然ちがうところでチャイを飲んだり、今まで出会わなかった誰かと 話したり、食事を一緒にしているということはすごく新鮮で、 でもなんというか、心強い、感じがするのです。

それはさっちゃんがイタリアで歌を歌っていることも同じです。

春菜ちゃんが世界を歩いている、さっちゃんが好きな歌を歌っている。 そのことはなにか勇気づけられるものがあります。
好きなことをすることは覚悟が要ります。
大人になって、それが本当にわかってきたから、
すごく尊敬もするし、嬉しいし、自分も頑張らなきゃって思えます。


ここで出てくる「さっちゃん」というのは、以前のブログで書いた、イタリアで歌の勉強をしている友人です。

日本にいるとき、私はずいぶん周りの人にパワーをもらっていたように思います。社会の中で、それぞれつらいことや納得のいかないことがたくさんあるだろうけれど、笑顔で、たくましく、それぞれの道をみつけていた周りの友人たち。

旅に出てからも、私は周りの人たちに元気をもらっています。このブログを読んでくださっている人たちや、あちこちで出会う、強くて優しい旅人たち。そんな人たちがいるから、私もがんばらなくちゃ、と。

旅なんて、自分のためにしているようなもので、全く生産的でも、誰かの役に立つわけでもないと思っていたけれど、ほんの少しでも、こうやって周りの人のパワーになっているとわかったことが、うれしかったので。

ブログなんて本当は旅には必要ないし、時には重荷にもなりうるけれど、それでも、読んでくれている人がいて、応援している人がいることを感じられるので、始めてよかった、と思います。

とりとめのないことを書いているのですが、いつも、読んでくださっていて、ありがとうございます。

読んでくださる人がいることが、私の旅するパワーのもとの一つです。

2009年10月14日水曜日

太陽が最大限にあたる街



コルビュジェたちの作った建物を見に行ってきました。すごいです、チャーミングです、美しいです。私は建築についての知識もないし、それを語る言葉も持っていないけれど、それでも、心がざわざわしていました。見ていて楽しい、視覚的に美しい、ちょっとしたデザインがおもしろい。これを日常的に見られるなら、チャンディガルに住むのもすてきだ、と半ば本気で思っていました。

チャンディガルは、区画によって区切られていて、その区画が、東西南北を向いておらず、街が、北東に向かって、作られています。それは、太陽が最大限にあたるように、作られているそうです。街全体に、日光が、たくさんあたるように。

本日のお買い物。
小さな地図帳。旅の中で出会った人たちが今どこにいるのか、とか、世界の中の自分の位置とか、どこに行きたいのか、確かめるため。



本日のお昼ごはん。
ターリー(カレーの定食みたいなの)。ターリーのすばらしいところは、ごはんもカレーもチャパティも、おかわりをどさっと(比喩ではありません。本当に、どさっと)入れてくれるところ。そんなにたくさん食べられないんだけれど。


あっという間にインドも3週間がたちました。

今までいた他のどの国よりも、私にとって、インドは人をなかなか信じられないところでした。だまそうとしてくる人にも会ったし、インド人を信じようとした矢先にリキシャーのおじさんとけんかしちゃうし(始めに言ったことと違うことを言うので。間違っていることには戦わなくてはいけないと思う)。インドは決して、甘くないところだ、というのが、今までの感想です。

それでも、信じられないくらいあたたかい人にも会ったし、助けてもらったことも多々あるし、インド人を疑ってばかりではいないように、少しずつなってきています。すぐに100%はもちろん信じられないけれど。

どこまで人を信じられるのか、というのは、どこまで自分を信じられるか、ということだと、ひしひし感じています。まだまだ私は修行中です。

インドに来たら体重が落ちると思っていました。中国で太ったから、なんとかしないと、と。それが、落ちる気配全くありません。それどころかインド太りです。これが最近のプロブレムです。平和なプロブレムです。ほんとに。

2009年10月13日火曜日

CHANDIGARH


こんにちは。

ここ数日、デリーでのんびりぼーっとしていたのですが、そろそろ動かないと、と思い、早朝の電車に乗って、チャンディーガルというところまでやってきました。フランス人の建築家、ル コルビュジェが街づくりに関わったところです。

数年前、東京の美術館で、コルビュジェ展を見て、インドに行くことがあればチャンディーガルにぜひ行ってみたいと思っていたのですが、なぜかすっかりそのことを忘れていました。それが、少し前、インドで、コルビュジェのことを思い出しました。あ、コルビュジェの作った街に行かなくちゃ、と。

だから、やってきました。チャンディーガル。インドではないようなところです。街が整然としていて、区画によって区切られていて、緑がたくさんあって、牛はほとんどいない。
明日は建物を見に行ってきます。


20代前半の私のモットー
新しいことや興味のあることを始めることやってみることに、時間とお金を惜しまない

そのとき、建物を見ることが好きで、建築に関して何の知識もなかったのですが、建物を見ることが大好きで、日本も外国もあちこち行っていて、そのときの気持ちを思い出しながらいます。

知らない街にいることは、そのことがただ単純に楽しくて、わくわくどきどきします。それに、建物を見ることが好きだったときの気持ちも重なって、今一人でおしゃべり相手もいなくても、今後のプランなんて何もなくても、今よりほんのちょっと若くて怖いもの知らずだったときの気持ちを思い出し、少し、強い気持ちになります。

最近きいた言葉より
恋するように、旅をする
恋するように、いつでも、旅ができたら、と私も思います。

2009年10月8日木曜日

旅する人の道



デリーから電車で6時間揺られ、ジャイプールというまちに行ってきました。
こちら、風の宮殿、というところ。すてきな名前です。風の宮殿。

色の濃い町でした。建物の色も、女性のサリーの色も、光と影の色も。

暇だったからインド映画を見てました。インド人観客がやんややんやしてて、それを見てるのがおもしろかった。



インドの女性が、腕にじゃらじゃら着けている、バングル。
きらきらしているものに、弱い、私。いつも、立ち止まって、じーっとみてしまう。このかわいさ、きらきらっぷり、見ているだけで、楽しい。



現在はまたデリーに戻ってきました。

カトマンズもそうだったのですが、デリーは、人との再会がとても多いです。以前書いたように、5回目の再会をデリーでしている人もいるのですが、本日の再会は、中国のあちこちで3回会った人(デリーに来る時期が同じくらいなのは知っていた)と、中国の大理で1回会った人(この人は何も連絡を取っておらず、本当に偶然宿で再会)。「どこかで会いましたよね・・・えーっと、えーっと、大理だ!」と。

あちこちで会っていても、決してルートは同じわけではなく、中国からバンコクに行き、インドに飛ぶ人も、中央アジアを下ってきてインドに入る人も、チベット経由でネパール・インドに入る人も、います。
それでも、国と国はつながっていて、会えてしまうことが、奇跡のようなことだと思います。旅をしている人の道の上を、みなが歩いているようです。同じ道の上にいるようです。

同じ町にいて、会える人もいれば会えない人もいる、ということを考えたとき、人と会えることは神様からの贈り物みたいだと思っています。人と出会えるという幸せを素直にありがたく受けたいし、人と過ごす時間、というのを、楽しんでいたいと思います。


それでは、また。
もう少しデリーでのんびりしてから、そろそろ北に向かいます。

2009年10月6日火曜日

チャイを飲むと幸せな気分になる




ベトナムといえばコーヒー、中国だったらお茶、タイだったらシェイクだし、インドといえばチャイ。
いや、そんなことない、タイはビールだ、インドはラッシー(ヨーグルトの飲み物)だ、とか反論する方もいらっしゃるかもしれませんが、それぞれの国で、私がよく飲んできた飲み物です。

日本にいたときは、紅茶もコーヒーも、お砂糖は入れなかったり、ほんの少しだったりしたのに、今ここでは甘いチャイがとてもおいしい。朝起きたら、チャイ。生姜が入ってて、ミルクも濃くて、甘すぎるぐらい甘いのが、好き。

その国でよく飲まれている飲み物は、その土地の気候風土に適している、ということをよく思います。タイのビールはタイで飲むから余計おいしいし、チャイも、道端でおじさんがいれてくれるものを、適当にすわってインド人に囲まれて飲むから、余計おいしい、というか。日本の飲み物も日本の土地にあっていたんだ、ということをよく思います。





1杯3ルピーとか5ルピー(6円から10円ほど)のチャイを毎日売って生活しているおじさんもいれば、汗水たらして、暑い中、人力車で人を運んで働いているおじさんもいて、そのかたわら、旅行者から100ドルとか200ドルとか、平気でだましている人も、少なからず、います。

どの社会でも、真面目にまっすぐ働いている人たちより、一部の(ずる賢い)人たちがいい思いをしていること、少なからずあるのかもしれません。それでも、それは間違っていると私は思うし、真面目な人たちが安心して暮らせないと、と思います。

私は、毎日こつこつとおいしいチャイをいれてくれるおじさんに、敬意を持ちます。

生きるにはお金が必要、ということ、日本にいたときは、理屈ではわかっていました。生活するために、働いてお金を得ることは必要なこと、と。
でも、ここで人々を見ていると、日本にいたとき自分が思っていたことは、言葉にすると同じでも、全く違うレベルのことだと気付きました。


裕福な人もいるけれど、日々を生きることが、精一杯の人も、いる。たまに、しつこいインド人に腹が立ってしまうこともあるのですが、それでも、そうしてでもしつこいのは、彼らは生活がかかっているから、ということを思うと、複雑な気持ちになります。だからって私もだまされたり不要なものを買ったりする余裕もないのですが。それでも、どこかやりきれぬ、まま。

2009年10月4日日曜日

ふたたび一人旅

一人旅に、戻りました。どういうことかというと、日本から遊びに来てくれていた友人が、帰国したので、一人旅。
遊びに来てくれていたのは、2ヶ月前、カンボジアで会った、さゆっぴさん。3週間弱、ほとんど一緒に過ごしていたのですが、同じ景色の中にいても、見ているもの考えていることはやはり違うし(ブログのぞくととわかると思います)、人と一緒、というのはそれだけでただ単純に楽しいことです。ごはんを誰かと食べるのは、一人で食べるより数倍おいしいし。私のわがままに、たくさん付き合ってくれた彼女に感謝します。楽しかったです、さゆちゃん、どうもありがとう。

一人で出てきたこの旅ですが、一人でいた日なんて数えるほどで、誰かと一緒にごはんを食べたりぼーっとおしゃべりしたり、人とよく過ごしています。一人でいるから思うこととか分かることもあるし、人との出会いもたくさんある反面、人といるから楽しめることも、できることもあるし。

ここでも、いろいろな人と会いました。ある人とは、カンボジアですれ違い、中国の成都で会い、カトマンズ、バラナシ、ここデリーと5回(!!!)もあちこちで会っています。別の人とは、ハノイ、カトマンズ、デリーと3回。人との出会いは、ほんとうに、不思議です。人と人は、つながっている、と思います。




"EVERY THINK IS POSSIBLE"
everythingの間違い?でも、いいですよね、その通りですよね。Every think is possible.

2009年10月1日木曜日

最近、少し考えていたこと



タージマハルへ、行ってきました。

鳥肌が立ってしまうほど、美しかった。写真で、テレビで、今までに何度か目にしたことはあって、ふーん、としか思っていなかったのですが、実物は、本当に、圧倒的に、美しかったです。ぼーっと見ていても、見飽きない。こんなきれいな形があったとは、と思うほど。

これは、お墓だそうです。愛する人のため、建てられたお墓。誰か私のためにこんなお墓立ててくれないかなー、と、絶対無理とはわかっていても、思いながら、眺めていました。


カトマンズで、ふと聞こえてきた、日本人のおじさんの会話。
「約30年前、ある評論家の男性が話してたことなんですけどね、その人が死んだら自然葬にして土に埋めて、その上に木を植えてほしい、ってことを言ってたんですよ。そうすれば、その木はそう簡単には切られないだろうし、その上で子どもが遊んだり動物が集まったりするのも、僕もうれしいし、って。」


バラナシで、ガンジス河で火葬しているところの近くに行ったり、こんな話をきいたり、ため息が出るほど美しいお墓を見たり。人が死ぬこと、そのあとのことを、なんとなく、うっすら、考える最近です。今まで、きっと幸せなことに、人の死の近くにいることが、たまにしかないまま過ごしてきました。死ということを、ほとんど考えることのないまま。それでも、人は、いつかは死んでしまう。

死と向き合うことは、生と向き合うこと、ということをきいたことがあります。インドにいると、ここに生きている人や動物の、生と死の境がはっきりしているように感じます。力強く生きているから死があるし、死があるのは、生きている証拠だ、と。

生きること死ぬことなんて、あまりに大きすぎて言葉にならないし、わからないことだらけなのですが、最近、少し考えていたことです。
一つ思っていることは、自分の死に方とか、死後のことを、ある程度自分で考えて決めたい、ということです。死ぬことも自由に、というか。やりたいことがたくさんありすぎて、私はまだまだ死ぬわけにはいかないけれど。

私の高校の同級生は、「私が死んだらお葬式でブルーハーツをがんがんかけてほしい。」と言っていました。その話を父親にすると、「わしはボブ・マーリーがいいな。でもお坊さんやりにくいかな。」と。そのくらい自由に、考えられたら、と思います。

なんだか明るい話ではありませんが、最近思ったことです。
気がつけば10月ですね!日本は涼しくなっているらしいですね。デリーは暑いです。