2022年2月23日水曜日

おしゃべりがしたい


このコロナ禍で世界はがらりと変わってしまって、

窮屈さを感じているひとも多いと思うのだけど、

私は何に飢えているかというとひととのおしゃべり。

子供が小さいということもあり昔のように自分の時間を全て自分のためには

使えないことと、人と会いにくい世の中になってしまったことから、

友人たちとおしゃべりする機会がぐんと減ってしまって、なんだかもう、

とても、何かが足りない日々。

お茶を飲みながら、とりとめもなく人とだらだらおしゃべりするような時間がほしい。

あぁ、ひとと顔見て話したい。マスク越しなんかじゃなくて。

2022年2月12日土曜日

なつかしのタイランド

 


私の勤め先は7月ごろ1週間の夏休みがあって、ここ数年(出産前まで)は、毎年のようにタイに行っていました。
アジアで好きな国は他にもたくさんあるけれど、なぜか、引き寄せられるようにタイへ。

北の都市、チェンマイでマッサージを習ったり、南の方の小さな村でのんびりしたり。
あるいはバンコクの市場をのんびりしたり。
着いて数日は日本を歩くときの速度で歩いて、「次何しよう」と考えてばかりいるのですが、だんだん、ぽけっとなって、歩く速度が遅くなり、頭の回転も話すスピードもゆっくりになり、なんというか心地よいところにネジが緩んで自分が着地する感じに。
自分にとってのぴったりなところに戻ってくる感じがして、きっと「肌が合う」ってこういうことなのだろうな、と思います。

日本の生活がストレスフルなわけでは決してないのだけれど、あぁ、なんか固くなってたなわたしは、といつも気づきます。

そうなっても期間は1週間、「調整」が終わったところで帰国なのですけれど。

いつか2歳の息子にもタイの空気を吸わせてあげたい。


2022年2月5日土曜日

書くことを、もういちど

 


昔は日記やブログや「文章」をよく書いていたのに、育児と仕事と家事に追われる毎日、時間があればぼーっとしておやつを食べるか、わしわし編み物をするか、もしくはSNSを覗いてあっという間に時間が経ってしまうかの日々。

文章を書くことは一種のメディテーションのようなもので、自分にとって本当は大切なことってわかっていても、なかなかそこに時間を割けなかったから。この際エイヤと一旦終えたはずのブログをひっそりと再開することにしました。

ブログを終わりにして10年近く経っているのに、それでも読んでくれている方がいるらしい、という事実も私を後押しして。


写真は確かウルグアイのどこか住宅地のバス停。

あれから世界はずいぶん変わってしまって、未知のウイルスにより遠くに行くことが難しくなってしまって、旅していた日々が幻のよう。

2022年2月4日金曜日

ひさびさに、こんにちは

 グーグルアカウントの設定を触っていたら、久々に昔書いていたブログに着地しました。

一番最後の投稿が2013年3月29日ということはあれから9年近く経ち、一度も新しく記事を書いていないにもかかわらず、アクセス数がゼロになるわけではなく定期的に読んでくれているひとがいるということに気づき(それが一人のひとが定期的に読んでくださっているのか、それとも複数のひとの目に留まっているのかは不明)、なんだか嬉しくてこそばゆくて、久々に何か書いてみようと思い立った次第です。

これまで定期的に読んでくださっていた方、手を挙げてくださるならば、いつか私はあなたとお話してみたい。


9年、あれから30代になり、前みたいな長い旅はしなくなったけれど、それでもちょこちょこと外に出たり家に籠って本を読んだり編み物をしていたり。

旅の仕方もずいぶん変わって(それは世界が変わったからかな)、スマートフォンがこれほど普及した世の中、道を確認するのも宿を取るのも情報を得るのもスマホまかせ。

昔の、地図を片手に「情報ノート」を頼りにドラクエみたいな旅をしていた者としては、便利だけど味気ないな、と思ってしまいます。

(情報ノートとは、安宿に置いてあって旅行者がその街の情報を書き込んでゆくノート。おいしいごはん屋さんのこととか、次の町への行き方とか、この旅行会社はやめとけ、とか、そんなことが書いてある)


数年前には結婚して、そして子供も生まれました。私は1人の男の子のおかあさん。


これは数年前に行ったタイのチェンマイのマーケット。

いくつになっても新しい街ではまず市場を覗く旅をしています。


子供の寝かしつけと一緒に寝てしまうことも多い日々、どれだけマメに更新できるかわからないけれど、目標は週に一度。これからもまた書きたいな、と思っています。