2010年10月30日土曜日

手芸屋さんの片隅にも



ほら、こんなところにも愛が。
(見えます?Amorって文字)

気付かなくても、世界は愛であふれているらしい、のです。

2010年10月29日金曜日

街中ガイコツがあふれてる


オアハカは今、ガイコツだらけです。
みんなにこにこガイコツを売って、ガイコツを作り、パンには人形を埋めてしまっています。




「死者の日」という、日本のお盆のようなお祭りのためです。
dia de muerto、「死者の日」なんていう名前なのに、からっと明るく、色鮮やかです。
血を出していたり、ホラー映画のような生々しいものもあるのですが、そういったガイコツも
なんだか楽しそうな様子なのです。



ガイコツ通信、続きます。
それではまた!

2010年10月28日木曜日

catsup???



メキシコに入って気がついたこと。
ケチャップのつづりは、catsupになるらしいということ。
(確かグアテマラではketchupだったような気がするのですが。)
キャッツアップ。ケチャップ。キャッツアップ。ケチャップ。
(今辞書を引いてみたら英語でもcatsupと使うことあるらしいですね。知らなかった。)

ただ今、オアハカという街にいます。
ここの名物は、チーズとチョコレート。
あちこちからチョコレートの匂いがします。(本当です!)
私が泊まっている宿の1本裏の道は、チョコレート屋が並ぶ「チョコレート街道」です。
非常に危険な街にいます。この甘さ!やばいやばいとつぶやきつつ過ごしています。

グアテマラは重さの単位がポンドだったので体重を計ることを逃げていたのですが
(それにしても単位がポンドだから体重計らない、ってなんとも変な理屈ですが)
メキシコは単位がキログラムなので、意を決して、体重計にのるつもりです。

日本にいたときよりちょっと丸くなっているのですが、でも、たくさん笑って
たくさん食べて、心身共に健康に暮らしているからまぁいいか、と思いつつ。

2010年10月26日火曜日

唐辛子



私はいつも思うのですが、
唐辛子ほど形のかわいい野菜(正しくは香辛料だろうけれど)
なんて他にないような気がするのです。
買うつもりなんて全くないのに、唐辛子から目を離せません。
味はちっともかわいくないのに。

メキシコに来て1週間。
メキシコは、色鮮やかなところです。
なんとなく、全てのものの色が強くて美しいところ、という印象。
まだ一つの街しか滞在していないけれど。
これから知らない街にたくさん行く予定です。

メキシコってどこでもサボテンが生えているのかと思っていたけれど、
そんなことはなかったです。(少なくともここは。)
「メキシコっぽいサボテン」が見たいのです。

それでは、また。
おやすみなさい。

2010年10月24日日曜日

¡¡Me encanta Donuts!!



ドーナッツ大好き。

「ドーナツ」よりも「ドーナッツ」と呼ぶのが好き。
見た目も味も名前も好き。見つけてしまったらじーっと見てしまうのです。
真ん中があいているっていうのがいいです。
穴があいているっていうのが大切な気がします。

今いる宿の情報ノート(旅行者が宿やら食堂やら情報を書き残していくノート)に、
「ドーナツ狂へ贈る!サンクリストバル1番のドーナツ屋」情報があったので、
それは行かないとといそいそ出かけようと思っている本日。
「ドーナツ狂」と言われたら行かないわけにはいきません。

アンティグアで一緒だった人に、
「アンティグア来たときよりも確実に太ったからね」と
はっきり言われてしまったのですが。

タビビトに戻ったからたくさん歩くし動くし大丈夫、と思いつつ。
メキシコはタコス天国だからダイエットのことなんて考えている場合ではないのです。
そして今日も私はタコスとドーナッツなのです。
でもたくさん歩くから大丈夫です、きっと。


2010年10月21日木曜日

¡México!



こんにちは。私は今、グアテマラ国境から4時間ほどのメキシコのまち、
サンクリストバル•ラスカサスというところにいます(あぁ長い名前です。)

国境のイミグレーションのおばちゃんはアイスクリームを食べながら迎えてくれ、
入国カードはそれはもう当然のように英語表記が全くなく、
メキシコに入った途端道がきれいになり、乗り合いバスでは1人1席きちんと与えられ、
その上なんとエアコンがつき(しかもきちんと機能しているのです!)、
入ったとたん「どこ行くんだい、アミーガ」。
「フレンド」「トモダチ」と誰に対しても言うインド人と同じぐらいの頻度で、
「友達」という意味の「アミーゴ」「アミーガ」を使う国、メキシコにやってきました。

国境を越えてほんの少しの距離しかないのに、確実に雰囲気や空気のようなものが
グアテマラと違っています。
それだけでなんだかどきどきです。

これから1ヶ月ほど、メキシコをうろうろしようと思います。
たくさんタコスを食べてきます。
それでは、また。おやすみなさい。

2010年10月19日火曜日

洗濯物が乾くまで



洗濯物が乾かなかったので、思わず滞在を延ばしてしまいましたが、
明日はいよいよメキシコです。

それにしても、「洗濯物が乾かないから」と移動を延ばす旅行者に、何その理由、
と思っていたのですが、気付けば自分がそんな理由により滞在を延ばしています。

予定は未定。いたいところにいたいだけ。
洗濯物が乾かなければ乾くまで待つ。

久々の陸路国境越えです。
久々の長時間バス移動です。
どきどきします。
それではおやすみなさい。


2010年10月17日日曜日

Spices for life



ビールとコーヒーのある生活が好きです。
ビールは毎日は飲まないけれど、たまに。一緒に飲む人がいれば。
おもてが明るい時間帯のビールが特に好き。
たまに飲む特別な感じも好きだし、ビールを飲んでいるときのまわりの空気も好き。
コーヒーは、毎日。生活になくてはならないものと、なりつつあります。
昔はビールもコーヒーも好きではなかったのに。
この2つが飲めるようになって、私の世界が変わったような気さえ、します。





何かが終わるころ、「あぁすればよかった」と思わなくていいよう、そのときそのとき真剣に、と思ってやってきましたが、なかなかそうもいかないようです。

でも、本当にそれができたら、例えばいつ世界が終わっても思い残すことがない状態でいられたら、世界はもっと美しく見えるような気がするのです。なんとなくそう思うのです。

私は、世界が今滅びてしまったらとても困ります。まだまだです。


きんもくせいの匂いが恋しい10月半ば。
あと少しでMexico!

2010年10月15日金曜日

旅に出ることにした



アンティグアに滞在すること3ヶ月と半。

1つの場所にいることはとても楽で、おしゃべり相手がいて、この街のどこに何があるのかがわかり、この宿のお湯の出る時間帯やコンロに火をつけるコツなど、小さくて生活に必要なことも不自由なく分かっていて、動くのがどこか億劫になってしまうほど、快適な日々を過ごしていました。


でも、そろそろ旅に出ることにしました。

このままはいけなくて、私はきちんと好きなことをやらなくちゃ、と思ったので。

私はだらだらうだうだしている場合ではない!と思ったので。


久々に1人旅。

気心のしれた人がもう近くにいるわけではないけれど。

地元の人が使うバスは泥棒がたくさんいるって聞いていて、どきどきして乗ったけれど。(無事だった!)

久々の旅は不安がたくさんで、でもどきどきの方がちょっと多いです。

久々に、何かが終わって何かが始まる感覚です。


アンティグアからバスで4時間ほどの、ケツアルテナンゴというところにやってきました。

知らないところにいて、知らない景色の中、角を曲がれば何があるのか分からないということは、

やっぱりとてもおもしろいです。私はそれが好きだと体中の細胞が言っているようです。


今日、台湾人のおばさんがやっている台湾のかき氷屋さんを見つけて(そこには大判焼きみたいなものもあったのです)、

宿の近くにおいしそうなパン屋があることがわかって、それだけでここの滞在が楽しくなりそうです。


これからメキシコ方面に向かいます。

こちらも久々に旅ブログとなる予定なので、どうぞよろしくお願いします。

それでは、また。


2010年10月9日土曜日

流れる水は腐らない


昔、藤原新也の文章でこんなものを読んだことがあります。

何年も前に読んだものなので詳細は忘れてしまったのですが、確かこんな内容でした。



流れる水は腐らない。

常に流れている水は腐らない、人間も同じで、生きているのは血が流れているからなのだ。

流れる水のある場所に障害が多すぎたら流れが悪くなる。それは人間の生活にも似ていて、ものが多すぎたら、

自分の周りに付帯するものや負うものが多すぎたら、流れが悪くなってしまう。それでは水は腐りやすくなる。

新鮮な水を流し続けるためにはものが多すぎてはいけない。

ぼくは流れる水のように生きていきたい。



私にとってこの内容が印象的で、どんな本だったか全く覚えていないのですが、

このことだけははっきりと覚えています。


穏やかさとか、毎日の日常とか、変わらないものとか、同じもの同じ人に囲まれる毎日の
幸せさや居心地のよさを感じると同時に、身軽でいるため新鮮な気持ちでいるため、
流れに障害をつくってはいけないな、と思うのです。
穏やかさの中から見えること分かることや幸せがあるのは、わかります。
それを選ぶ生活も、いいなと素直に思います。

でも、私は、水を流し続けなければいけないな、と思うのです。
波のない水よりは、流れる水のなかにいたい、と思うのです。

2010年10月7日木曜日

días, semanas y meses





最近思うこと。
何かがくい違って離れていく人と、それでも離れない人との差は
どこから来るのだろう、ということ。

最近少し困っていること。
英語を話していてもスペイン語が混じってくること。
英語の単語の代わりにスペイン語のことばが出てくること。

今日印象的だったこと。
授業中、日本の年金の制度の説明をしているときに言われたこと。
「じゃあ、日本人は将来のための準備をいつだってしているのね」驚きながら。
それは当たり前すぎるぐらいの当然なことだと思っていたのに、
ここではそれが当然ではないのだ、ということ。
こちらの人はお金があったら蓄えるよりも、その日の楽しみに遣う人が、
確かに多いとは思うのだけれど。

最近の楽しみ。
マシュマロを焼いておしゃべりしながら食べること。
ごはんを作るのは相変わらずの日々の楽しみ。
最近天気がいい日が続くので、そんな日の夕方のお散歩。


「ブログ更新がんばる週間」、週の真ん中の中途半端なところから始めたけれど
とりあえず1週間経ったのでひとまず終わりにしようと思います。
読んでくださっていた方々、ありがとうございました。

今後も、静かにささやかに更新していますので(毎日はできないと思いますが)
読んでくださると幸いです。

2010年10月6日水曜日

出会うことと別れること



今日はひとりごとです。
(いつもひとりごとですけれど、今日はいつも以上のひとりごとです)


以前、会いたいと強く思っていた人がいました。
実際その人に頻繁に会うことはできなかったけれど、
でもその人の言葉は私にきちんとまっすぐに届いていて、
会えなくてもその人の存在が確実に私に必要だった時期があって、
私が、今の私でいるのはその人との出会いがあったからだと思っています。

最近ふと、でもはっきりと気付いたことは、以前ほどの気持ちでその人を欲していない、
ということ。いつかまた会いたいけれど、でも前ほどの強い気持ちで「会いたい」
というのでもないな、と。
「私はまたこの人に会わなくちゃだめだ」ではなくて、「会えたらいいな」。

それが分かったとき、1つ自由になった気がしたのです。
その人に会いたいという気持ちが、どこか自分を縛っていたように思うのです。
うまく言葉にならないのだけれど、その人と出会ったことの意味みたいなものが、
果たされたのかな、と。

人と人が出会うには意味があることと、反対に別れにも意味があることを思います。
その出会いが持つ意味とか約束みたいなものが果たされたら、人と人は自然に
離れるようにできている気がするのです。

だから、今私の周りにいる人は私にとって必要な人たちだということを思います。
私自身がその存在を必要としているというよりも、出会うことに意味がある人たちだと。
人と人の関係はうまくいくことばかりではないし、合う人も合わない人もいるけれど、
たとえその人との出会いが幸せと直接結びつかないとしても、神様が私のために
出会わせてくれた人たちだと。

だから、人との別れを以前ほどの気持ちで悲しむことがなくなりました。
とは言えまだまだ別れることには慣れないし(きっと一生慣れることはないでしょうが)、
それまで確実に存在していたその人との時間をその後過ごすことができないと思うと
切なくなってしまうのですが、それでも最近はもう少し自然に、きっとそういうものなのだ、
と思います。
別れるときは、それは離れる時期なのだ、ということ。

会うべきときには人に会えるし、会えなかったらそういうものだったのだ、
ということを自然に思います。

会えるときにはきっと会えると信じています。
誰とでも。今まで別れてきた誰とでも。


今私の周りにいる全ての人たちに感謝します。
今までに出会った全ての人たちにも感謝します。
今現実に近くにいる人たちにも、遠くにいる人たちも、
このブログを読んでくれている人たちにも。


ひとり言におつきあいいただき、ありがとうございました。
「出会い」のたくさんある日々になりますように。

2010年10月5日火曜日

市場のあるところに住みたい


どこの国でも私はほんとうにほんとうに市場がたまらなく好きで、
用事もなくてもあっちこっちとうろうろしているだけで、
あっという間に時間が経ってしまいます。


ここの市場は月•木•土です。
週3日通いつめているわけではないのですが、「明日はメルカド」と思うと
わくわくしながら前日は眠るのです。



アンティグアの市場は入り組んでいるので、方向感覚をつかむまでに1ヶ月かかりました。
今はどこに何があるか、トマトを買うならどこで、あのおばちゃんのところには何があって、
野菜売場にたどり着くための近道はどこで、そんなことがすっかり分かります。


人の内面って顔に出るんだな、ってことをここで改めて思います。
メルカドは大きくて、例えば玉ねぎを買おうとしても、玉ねぎが置いてあるお店は
100以上あると思うのですが、何か感じがわるいひとも確実にいるのです。
そしていい人も確実にいるのです。だから、買うのはもちろん感じのいいひとのお店です。
人柄って顔に出るんだなってしみじみ思います。



住むなら市場のある街に住みたい、と思います。


2010年10月4日月曜日

日常は過ぎゆく


私の日常。
勉強、学校、洗濯、ご飯作り。
お茶の時間、おしゃべり、日記、ぼーっとうたたね。
7時前後起床、11時前後就寝。


インドとトルコで会い、クルジスタンを少し一緒に旅した友人がグアテマラにやってきたときに作ったカレー。
ここに来てから、前回の旅で出会った人すれ違った人と4、5人再会していて(前述の友人とは連絡を取っていたけれど他の人は偶然)、地球は本当につながっていたらしい、ということをよく思います。



紅茶を飲みたくて、"Te Negro"(Black tea)を買ったら予想していた味と違って、
「おいしくなーい」と言っていたら、同宿の人に言われたこと。
「そりゃそうさ、見てごらん、MONDAISAって書いてあるじゃないか。」
•••確かに。モンダイサ。
「問題さ」って。「問題さ」って。
でも慣れると飲みやすくて嫌いな味ではなくって、なんだかんだ3箱目を買ってしまったほどの「モンダイサ」。



また1週間の始まりです。
あたたかな日々をお過ごしください。

2010年10月3日日曜日

トゥクトゥクが走る


初めてグアテマラに着いたときにまず思ったことは、アジアみたいだということ。


空港の出口を一歩出た途端、

「タクシー?タクシー?」

「どこ行く?どこ行くんだ?」

それはまるでベトナムでバスを降りた途端のような、インドの鉄道駅を一歩出た途端のような

様子だったのです。


人の足となるバスは、それはそれは派手派手な装飾が施されているし、

バスに乗っていても、お菓子やら鉛筆やら何かの道具やらの売り子が乗り込んでくるし、

明らかに2人掛けの椅子には3人、3人掛けの椅子には4人座るようなシステムになっています。

料金徴収のおじさん(たまに少年も働いている)はほとんど常に行き先を叫んでいるし、

満員バスでは出入り口に片足だけで立っている人もいるし、それはもう、ネパールやら

インドやらと全く同じ様子なのです。


そしてここではトゥクトゥクも走っているのです!

まさかトゥクトゥクという名前をここで聞くとは予想もしていなくて、驚いてしまいました。

地域によってトゥクトゥクと呼ばれたりリキシャと呼ばれたり、バイクを改造して人が乗れるように

した、東南アジアからインド、パキスタンまでよく目にした乗り物がここでもよく使われています。


ここのトゥクトゥクの形はインドとかパキスタンを走っているのとほぼ同じ形でした。

でも私が好きなのは(見ていてデザインが好きなのは)タイのトゥクトゥクと、

インドのサイクルリキシャ(バイクではなく自転車の後ろに人が座れるようになっている)です。


私がアジアよりもここを先に知っていたら、アジアに行ったときに「中米みたいだ」と

反対のことを思うのかもしれないのですが。

それでも、そんな光景が目の前にあることがなんだかとても不思議だし、

大陸が違っても地球はつながっているんだ、ということをしみじみと思います。


2010年10月2日土曜日

夢の世界の入り口のような。



私の方がきっともっと上手にかわいいのを作れると思うのだけれども。

グアテマラのあちこちでこれが売られていて、たまにミッキーみたいなのとか
プーさんみたいなものもいるのですが、それはどうしてもニセモノで、でも、
グアテマラ人はにこにこしてうれしそうに幸せそうにこれを買って行くのです。

そういうのって平和です。
そんな平和な幸せってちょっといいなと思いながら。



覚えても覚えても。
知らない単語が次から次へと出て来るのです。
当然なのですが、辞書の中は知らない単語だらけなのです。

気がつけば10月。光陰矢の如し。
日本は季節が移り変わっているはずなのに、
ここは季節の移り変わりがあまりないまま10月です。
「ちょっと肌寒くなってきたから長袖をそろそろ着よう」
という感覚が、少しだけ、恋しいです。

雨が続いた今週。
明日は晴れますように。
¡Ojalá que haya sol mañana!

2010年10月1日金曜日

書くことを真剣にしようと思う。


自分が苦手なことは、それが得意な人にまかせておけばいいし、それぞれできることは違うんだからできること得意なことをすればいい。自分がなかなかできないことを他人がやってるからってため息ついて見てなくていいと思う。」

踊るときの、体の動きのなめらかさや色気のようなものが、どうしたって欧米人にはかなわない•••と思いながら人が踊るところを見ていたら横にいた人に言われたこと。

本来、社会はそうやってまわっているはずで、それぞれが自分に合うことやできることをするための場所に落ち着いているはずだろう、と思います。得意なこと、できること、好きなことをするというのは当然のことで、当たり前のことで、でもなんだかそんな当然のことを忘れていたことにはっとしたのです。

苦手なことでも人に負けるもんかとがんばろうとして、でもなかなかうまくできなくて、少し落ち込んで。忍耐とか辛抱強くやってみることとか、大切だと分かっています。辛抱強くやればできるようになることもたくさんあることも、分かっています。でも、自分ができることをすればいいのだ、と改めて思ったのです。


私にとってのそれは何だろう、と考えたときに浮かんだのは「書くこと」です。

日本に一時帰国していたとき、高校のときの小さな同窓会があり、そこで久々に会った担任の先生に言われました。
「あなたは、文章を書くとか、そんなやり方で生きていけたらいいね」

もちろんそんなことが口で言う程簡単ではないことは重々承知です。それでも、高校生のとき「文章を書く仕事に就きたい」と思っていたこと、それを覚えてもらっていたこと、10年経った今改めてそれを言ってもらったことに、なんだかはっとしたのです。その先生は多分このブログを読んでくれていないし、私がこうやって細々と言葉を綴っていることを知らないとは思うのですが、それでもそう言ってもらったときに、気持ちがしゃんとしたのです。

文章を書くこととか、何かを表現することに対してもっと真剣に向き合おう、と思ったのです。
だから、今週は自主的「ブログ更新がんばる週間」なのです。


生活のためにはそうも言っていられないこと、職業を選択する自由のない人も世界にはたくさんいることもわかっています。組織の中では苦手なこともたくさんあることも、分かっています。

それでも、できるだけたくさんの人が、それぞれの好きなこと得意なこと楽しいと感じることをしながら生きていける社会でありますように、と思うのです。そういう人が増えますように、と思うのです。
そしてそのために私も好きなことをやっていなくちゃ、と思うのです。