2010年12月29日水曜日

365日の中の362日目



気がつけば今年も残すところあと数日です。
旅をして、少し日本に帰ってまた出てきて勉強して。
やりたいと思っていたことを本当にしていること、
日々少しずつ幸せを感じていられることが幸せです。

私と時間を過ごしてくださった全ての人に感謝します。
一緒におしゃべりした人たち、メールをくれた人たち、
会ったことがなくても遠くからブログを読んでくれている人たち、
お茶やお酒を飲んで一緒に笑った人たち、
私にたくさんの笑顔を見せてくれた人たち、
できるならみんなにハグしてまわりたいぐらいです。

人がいるということ、好きな人たちがいるということ、
会いたい人がいるということ、理解してくれる人がいるということは、
どれだけ私を心強くしたかわかりません。
ありがとうございました。

よいお年をお迎えください。
全ての人にとって、来年がさらに明るい1年になることを祈りつつ。


2010年12月27日月曜日

fruta BOMBA



そういえば、キューバではパパイヤをfruta bombaって言うらしいです。
「ほら、あの形が爆弾みたいでしょう?」って。
爆弾フルーツ。


ここ数ヶ月で読んだ本。
『戒厳令下チリ潜入記 ーある映画監督の冒険ー』ガルシア•マルケス
『再生の朝』乃南アサ
『未来いそっぷ』星新一
『デッドエンドの思い出』よしもとばなな
『スイート•リトル•ライズ』江國香織
『永遠のエルザ』ジェイ•アダムソン

日本にいなくても日本語の本はけっこうあるものなのです。
上の本のうち半分は、以前読んだことがある本だったのですけれど。
でも、そのときそのとき本に出会えるってすてきなことだと思うのです。


クリスマスは、焼き鳥パーティでした。
「酒を飲んでつぶれる」っていうことが、初めて分かった27歳。
でも楽しかったです。一緒にお酒を飲める人がいるっていうことの幸せを思います。


2010年12月24日金曜日

クリスマス!


年末っぽく全くないのですが、クリスマスっぽい気分になるため?特別感を出すため?に
ガーベラを買って机の上に置いています。


そうそう、グアテマラに戻ってきました。
ここ最近キューバのことばかり書いていて、「今現在」のことを書いていなかったのですが、
グアテマラに戻ってきました。

1週間と少し前、メキシコのサンクリストバルを出て国境に向かったのですが、
なぜか、「国境閉鎖」。
デモだとか、ストライキだとか、道が封鎖されているから、とか周りの人に言われつつ、
えぇ?????なんでなんでなんで????なんで陸路国境がいきなり閉まるの???
と思いながら、国に入れない難民のようにイミグレーション前で4時間ほど待っていたら
なんとか国境があいて、グアテマラに戻ってこれました。

それから、途中の街で1泊して、バスを乗り継いで、アンティグアに戻ってきました。
学校にも再び行って勉強しているし、自炊生活もしているし、以前ここにいたときのような
落ち着いた生活をしています。

とりあえずクリスマスと年末年始はここで過ごします。
年末年始はお酒を飲みながら過ごそうと思っています。
お酒を飲みながら日々を送れるなんて大人ってすばらしい。

こころあたたかで明るく楽しいクリスマスをお過ごしください。

2010年12月23日木曜日

たかがライターだと言われてしまいそうだけど



キューバで、ライターにガスを入れてもらいました。

私はタバコを吸わないから日本ではライターを必要としていなくて、
これは去年パキスタンで「初めて自分で買った」ライター。確か中国製で、30円ぐらい。
停電のとき、ガスに火をつけて料理するとき、防犯のため(気持ちだけ)、なんだかんだで
旅をしているとライターって必要で、少しづつガスがなくなっていきました。

ライターって、消しゴムみたいに気がつけばなくしてしまうもの、
使い切る前にどこかにいってしまうか壊れるものだと思っていたから、
自分が使ったライターのガスがなくなったことってなんだかちょっとうれしくて、
なんだか少し、捨てるのが惜しかったのです。

キューバの路上でライター屋を見つけたとき、これは!と思って、ガスを入れてもらいました。
約半年よくはいているサンダルの底もはがれかけていたから、キューバの靴屋で直してもらいました。

旅行中は自分の持てる荷物に限界があるから、どれもこれも必要なものばかりで、
捨てられないものばかりで、その上なんだか情が入ってしまうから、「ものを直す」ことが
当然の文化の中にいるととてもほっとするのです。

「直せるものは直す」という生活に、少しずつ傾けていきたいと思っています。

2010年12月21日火曜日

キューバ人と、フィデルと、神様と。


キューバ。
楽しいだけではなかったけれど。
とてつもなく野菜不足になるし、ものはたかられるし、バスチケット1枚とるのもインドのような大変さだったし(私は運が悪かったのだと思う)、いい思いだけをしていたのでは実はなかったのだけど。でも、それはどこに行ったって同じ。





ある日、アイス屋にて2人の子を持つ40代のキューバ人女性と知り合いになりました。
英語を話し、会話の内容や服装から、彼女は経済的な余裕のある人でした。

その日、彼女はカメラが壊れたから電化製品の修理工場に行ったという話でした。
彼女が持っていたのは、ソニーのビデオカメラ、ハンディカム。
「これには叔父の誕生日パーティのとき撮ったビデオが入っているんだけどね、どうしてか動かなくなっちゃって、修理工場に行っても『特別な部品が必要で、でもその部品はキューバでは手に入らない』って言われちゃったの」と。

私がそのとき泊まっていた宿の家族はすごくあたたかくていい人たちで、偶然その彼女と宿の家族が知り合いだということがわかったときに彼女が言ったこと。
「いい家族と知り合えたわよね。神様は私たちをいつだって助けてくれるから。信じているわよね?」
"God always helps us, Do you believe that?"

そのとき、あぁ、そうか、と思ったのです。
結局、いいことがあるって信じて生きていかなくちゃいけないんだな、と。
今いる環境の中で、ちょっとしたことに落ち込んでいる場合ではなくって、
前を向いて生きていかないといけないこと。
神を信じる信じないの話ではなく。

私は日本人で、例えば自分の国では彼女のビデオカメラを直せるだろうこと、でも結局そこはキューバでどうしようもできないこと。そのどうしようもなさがなんだかとてもやるせないと思っていたときに言われ、なんだかはっとしたのでした。



今回キューバに行けて、ほんとうにほんとうによかったと思っています。
キューバは、ものがなくて、あちこちぼろぼろだったけれど美しかったです。
それに、いい出会いがたくさんありました。

なんだか、世界の成り立ちのほんのほんの少しを、体で分かったような気がするのです。
実は何も分かっていないのかもしれないけれど、私の中で理解したような気がするのです。



お知らせ

このブログの右下に、「リンク」を設置しました。
普段私が覗かせてもらっている他の方たちのそれぞれの場所の日常を、
他の方にも、と思ったので。もしよかったらあちこち覗いてみてくださいね。


2010年12月19日日曜日

革命から50年と少し


今まで、いくつかの国でたくさんの人に会って、たくさんの笑顔を見せてもらったけれど。

キューバ人の笑顔はなんだか他のどの国の人々の笑顔とも違っていたような気がします。

太陽の光をさんさんと浴びたような、屈託がない、不安さや裏のない、笑顔だったような気がします。



余計なものがそぎ落とされた人、迷いがない、道がきまった人は格好いいといつも思います。

キューバでは、そんな格好いい人によく会いました。

それは、彼らは選択肢がないことからの格好よさなのかもしれません。道が決まっていることの格好よさ。


私たちは選択肢が多すぎるのかもしれない、と思います。だからいつまでたっても迷っている。

何になってどう生きるかも、お金の稼ぎ方にしても遣い方にしても、ものも情報も、選択肢がたくさんあります。

いいこととか悪いこととかではなくて、ただ、世界が違うのだな、と思います。


キューバの人はものも選択肢もなくて、限られた環境の中で笑顔で生きていて、

それは限られた環境だからこそ、幸せに暮らすことに貪欲なのかもしれない、と思います。

限られた環境だからこそ、ものを大切に使うし、今それぞれがいる世界での幸せを見つけ出そうとしている、というか。






ある日、キューバ中部のトリニダーという街を歩いていたら耳に入ってきた音楽。

それは、"We are the world"のスペイン語版でした。


なんだか、皮肉だなぁと思ってしまいました。

アフリカの子どものために作られた歌だとしても、アメリカ人が「世界はひとつ」と歌って、

そのアメリカの考える「世界」から除外されているキューバ人が、それをスペイン語で聴いているという現実が。

"we are the ones who make a brighter day so let's start giving"




友人のブログで読んだ、フィデル•カストロが言ったこと。

「社会主義の公式なるものは、どう考えても不公正です。 それでも、実際に労働で貢献している人々がほとんど何も入手できないのに、社会で最も怠惰な連中がほとんど全てを奪ってしまう不快極まる資本主義よりは、よほどましです。」




もし、カストロとチェ•ゲバラたちが革命を起こさず、今もまだアメリカが介入していて

キューバが資本主義社会だったとしたら。

人々はこんな笑顔を持っていたのかな、ということを考えます。

きっと、そうではなかったような気がしてならないのです。

歴史に「もし」なんてないのだけれど。でも、それでも考えてしまいます。



2010年12月18日土曜日

普段目にするものの力


普段目にするものって、知らず知らずのうちに人々の心に浸透するような気がします。
キューバで見たものたち。キューバってこんな国なんだ、としみじみ思ったものたちを。


1ペソ(約4円)コイン。
ソフトクリームが1つ食べられます。コーヒーも1杯飲めます。
PATRIA O MUERTE
「祖国か、死か」
(チェ•ゲバラがキューバを去るときにカストロに宛てた手紙の一節だと思うのですが•••)



FIDEL EL PUEBLO ESTÁ CONTIGO
「フィデル、国民はあなたと一緒です」
ハバナの路地にて。



Unidos luchamos, Unidos vencemos.
「1つになって戦えば、1つになって勝つ」
地方のバスターミナルにて。



Morir por la patria es vivir
「祖国のために死ぬことが生きること」
これも、地方のバスターミナルにて。


私たちが普段目にするものは消費社会を促す広告がほとんどで、
キューバはそういった広告よりもこんなことばだらけでした。
なんだか、うまく言えないのですが、とても不思議なところでした。
こんなことばがあちこちにあることが、こういったことを目にしない日がないことが、
とても不思議な日々でした。

2010年12月16日木曜日

I scream HAPPY/ Ice cream HAPPY


キューバのごはんはおいしくないと聞いていました。
「破滅的にまずい」だの、「社会主義的においしくない」だの、「おなかを壊す」だの、
「とにかく食に期待するな」と。(社会主義的な味ってどんなのだろう•••と思うのですが。)
でも、おいしい食事もちゃんとあって、観光客よりも地元の人が行く食堂にも、
おいしいものがちゃんとありました。(外れがなかったとは決して言いません。)

でもそれよりも。おいしかったのはアイスクリーム。
(アイスはごはんではないという意見はとりあえず耳に入れません)


ここはとても人気のアイスクリーム屋さんで、いつも人が並んでいます。
テーブルは4人掛けで、私は1人で行ったのでいつも相席で、同じテーブルを囲んだ人に
毎回同じことを聞かれました。(3回行った、3回とも。)
「アイスクリームはおまえの国にもあるのか。」 ある。
「味はどうなんだ。これと同じか。違うのか。」 ちょっと違うけど、でも私はこれが好き。
そう言うと、そうかそうか、と満足げにうなずきます。
このアイスクリームはキューバの誇りなのだ、とでも言うように。


アイスクリーム、一皿、5CUP(約20円)。



私が食べるのは1皿のみなのですが、ご覧の通りキューバの人はとにかくたくさん頼みます。
後ろのテーブルの、アイスのお皿の山!テーブルいっぱいのアイスのお皿!!
あまりにたくさんのアイスが来るので驚いていたら、同席のおじちゃんは、
「子どもが3人いて、18歳と14歳と10歳で、こんなアイス、家に帰ればみんなで食べて
すぐなくなっちゃうんだ」と言いながら持参の入れ物に入れていました。

老若男女、みんなでアイスを食べて、みんな入れ物に入れてお持ち帰りして。
なんだか、なんだか、キューバっていいな、と素直に思いました。
アイスをみんなが好きっていうその健全さみたいなもの。
こんなにおいしいものがある、っていうそれだけのことの喜び、というか。



それでは、また。
こころあたたかな年末をお過ごしください。


2010年12月13日月曜日

サンクリストバル日記


キューバの話はまだまだ続きますが、今日は、今いるところ、
サンクリストバル•デ•ラス•カサスの日々を。


今泊まっているのは、気のいいアルゼンチン人のやっている宿。
ほとんど常に誰かがギターを弾いていて、誰かが歌っていて、宿の前の公園からも
音楽が流れてきて、そんな中にいてそれだけで少し幸せです。
歌とか音楽を自分でつくり出せるっていいな、って素直に思います。

ドミトリー(相部屋)同室の人たちとの公用語(?)はスペイン語。
ここにいるほとんどの人は、英語の方が楽に使える人ばかりなのに、それでもスペイン語。
みんな苦労しながらもそれでも会話がちゃんとできるし、笑いあえるし。
そんなことがうれしくて仕方ありません。

宿の前には公園があって、土曜の夜は音楽隊が来て演奏して、人々が踊っていました。
市場で野菜を売っていそうな、もしくはパンを売っていそうな、つまりは普通のおばちゃんが
とてつもなく格好よく踊っていて、そういうのを見るとメキシコってすごい、と思います。
そういうものが、メキシコの底力のように思います。(何の底力かはわからないけど)

本日、グアダルーペ(メキシコでよく奉られている聖人、だと思う)のお祭りだということで、
少し離れた村に行きました。
観光客が全く来ないようなところで、地元の人も私たちを奇異な目で見て、
私たちもどうしていいのかわからなかったのが正直なところ。
今日は彼らの祭りの日で、神聖な日で、見られるためにやっているのではなくて、
観光客が立ち入ってはいけないところ、ってやっぱりあります。
私たちが興味本位で見るものではないところ、って確実にあると思います。
それをきちんと考えないと、と思った本日の午前中。

セネガル系フランス人の子と歩いていた本日。
綿菓子の屋台を見つけて、「これフランス語ではなんて言うの?」ときいてみたら、
「バルバパパ」だって。つづりを書いてもらったら、barbe a papaと。
バルバパパって。なんだかいい音だな、と思ったので。

そう言えば今思い出したけれど、グアテマラでポップコーンは「ポポロポス」。
シャボン玉は「ブルブッハ」。擬音語?擬態語?と思ってしまいます。

明日にはグアテマラに戻ります。
さよならメヒコ。またきてタコス。

2010年12月12日日曜日

エスプレッソをひとつ


全く期待していなかったのにおいしかったもの、コーヒー。
人が並んでいるところでは並んで、並ばないところではキューバ人に混じって
人の波に負けじと「コーヒーひとつ」。

「あいよ」とカウンターの中のおじさん(もしくはおばさん、もしくは兄ちゃん)は、
コーヒーの受け皿とスプーンを置いてくれます。


日本でアイスクリームを買ったらついてくるような、プラスチックのスプーンを再利用。
だから周りの人のスプーンは白かったり、透明だったり。
私のはこんなにかわいくて、それだけでなんだか「アタリ」な気分でした。





お砂糖。多少何かが欠けている気もしないでもないが。
地元の人が集うお店のコーヒーは大体、1杯0.35〜1ペソ(2円〜4円)。



「お茶文化」のあるところって好きです。
「お茶文化」はすばらしいです。私はお茶文化のないところは暮らせない、って思うぐらいお茶(もしくはコーヒーを)日常で飲む生活が好きです。


2010年12月10日金曜日

キューバというところ


キューバに行ってみたいと思っていました。

それは、映画「ブエナ•ビスタ•ソシアル•クラブ」を見たときから。
老人たちが実に実に楽しそうに演奏していて、生きていて、こんな人たちがいるキューバってどんな国なのだろう、と思ったから。
老人が隅に押しやられていなくて人として生きている社会は、それだけで私はいい社会だと思います。住むのであればそういうところ、と思います。

それに、「社会主義国」の中に入ってみたかったから。
中国もベトナムももう完全な社会主義国ではなく、資本主義の波の中にあるように見えたから。数十年前はいくつかの国が社会主義だったのに、そして社会主義の利点とかいいところもあったはずなのに、気がつけば世界中のほとんどの国は資本主義社会になってしまったから。
今もまだ、アメリカの影響を受けない国というものを見てみたかったから。

だから、キューバ。
私にとって日本からはあまりに遠かったから、中米にいるうちに行っておこう、と思ったので、行ってきました。








着いてまず思ったことは、いろいろなものが、古い、ということ。
古くて、日本だったら処分されてしまいそうなぐらい古くてぼろぼろなものが、あふれていました。建物も、車も、人々が生活で使うものも、とにかく何でも。政府の建物でさえ。

そして、噂通り、ものが少ない、ということ。
スーパーの棚はがらがらだし、少ない商品をうやうやしくガラスケースに入れているし、市場に行っても野菜も果物も、少ない。(キューバ人はあまり野菜を食べないことも関係しているかもしれませんが。)

キューバでは、ものがない中、人々は何でも直しながら再利用しながら生活していました。
車や建物や服や靴を直すのはもちろんのこと、ライターにガスを入れることまで。買い物に行ったら袋がもらえないのは当然だし、例えばパンを買ってもパン屋さんがくれるのはパンをそのままで、みな自分で袋を持ってきたり、もしくはそのまま受け取って手で食べたり。
ある日私の前を横切った自転車があまりにまぶしかったので見てみたら、反射板の代わりとしてCDが自転車の後ろにつけてありました。

あるものでいかに暮らすのか、自分の周りのものでいかに楽しく暮らしやすく生活するのか。
それは必要性から生まれたことかもしれないけれど、キューバ人はそれが長けているということを思いました。

消費型の資本主義社会と、あるものを工夫して使い続ける社会主義社会。
国として、将来のビジョンがはっきりと見えるのはどちらなのだろう、もしまた世界が大きく変わったときに影響や被害をあまり受けずに過ごせるのはどちらなのだろう、ということを考えてしまいます。

どちらがいいとかどちらが悪いとかでは決してないのですけれど。
それでも考えずにはいられません。


2010年12月9日木曜日

こちらの世界とあちらの世界


こんにちは。
昨日、無事キューバから戻ってきました。
いろいろあって、思うこともたくさんあって、何からどう書いたらいいのかよく分からない中なのですが、それでも少しずつ。

おつきあいいただけると幸いです。

とりあえず。
簡単にどんな国かということを箇条書きに。思いつくまま。
(今までこんなことしたこともないし、しようと思ったこともなかったのですけれど、ある意味キューバは「特殊」な国だし、この後のことを読んでもらうのに少し説明しておいた方がいいかな、と思ったので。以下のことの中に、正しくないことや補足があれば教えてくださると幸いです。)

・社会主義国
・人口に対する医師の数は世界一、国民は医療と教育が無料
・平均月収は日本円にして1000円から1500円ほど
・食料自給率は75%
・主要な貿易相手国はブラジル、ベネズエラ、ベトナム、中国
・主要産業は、観光業と砂糖
・アメリカからの経済封鎖のため、アメリカ企業は入っていない(世界中どこでも、本当にどこでも見るコカコーラの看板がない国なのですよ!)
・通貨は2種類、建前上キューバ人用のペソ(CUP)と、外国人が使うペソ(CUC)
・建前では、キューバ人は外国人と一緒に歩くことは禁止
・とてつもなく簡単に歴史を言うと。(すみません、得意じゃないもので)
コロンブスがアメリカ大陸を見つける→スペインから入植者がやってくる→スペイン領→アメリカ領→フィデル•カストロとチェ•ゲバラたちが立ち上がりアメリカ支配下同然だった政府を倒す→社会主義国
(本当はもっともっと戦争だったり細かい歴史があるのですが、とりあえず大まかにざあっと。)



着いて数日は、私は眠たくて仕方ありませんでした。
キューバ着の日は、夜、宿にたどり着きしっかり眠ったにも関わらず、その翌日昼寝を4時間して、その次の日は2時間、その次は30分。午前中少し動き回って昼食を食べると、とてもとても眠たくなって少し横になったらことんと寝ていて。夜も11時ぐらいには寝て、朝は7時半ぐらいに起きる。そんな日々でした。

自分でも不思議なくらいよく眠ること、今までにも何度かありました。
それがあるのは、自分の周りの世界が大きく変わったとき、自分に入ってくるものが大きくて多いとき、だったような気がします。初めて中国に行ったとき、インドに入ったばかりの数日間、ヨーロッパからタイに飛んだとき。

キューバはそんなところでした。
とにかく世界が確実に違っていて、ほんの1時間外を歩くだけでも入って来るものが大きくて多くて。考えることが多くて。


明日はまじめにもうちょっと書きますね。写真も載せますね。
ほんとうは書きたいことがたーんとあるのです。でもうまくまとまらないのです。

だから。また明日です。おやすみなさい。



2010年11月24日水曜日

いよいよ明日から!


教会の入り口から差し込む光があんまりにもきれいだったので。



明日からキューバに行きます。
ネット事情が悪いので、ブログの更新もネットのチェックも、
これから2週間のあいだできません。
2週間後にごあいさつすることになるかと思います。

自分の目でしかとキューバを見てこようと思っています。

それでは、また!
いよいよのキューバに、行ってきます。


2010年11月23日火曜日

苦手なこと


のみの市は楽しいのです。
メキシコシティ、日曜日のみの、蚤の市にて。




「ビーチリゾート」が苦手です。
欧米からのお金持ち観光客がわんさか押し寄せるところ、カンクン。
空は青く、海も青く、カリブ海は目の前の、カンクン。
1人だし、デパートは乱立するも何も要るものはなく(5分で飽きた)、実はすることのないカンクン。街の中心部も、人々の生活感がなく「ツーリストの街」という印象が拭えないカンクン。

私は海がほんの少し、どことなく苦手です。
嫌いではなくて好きだし、波の音も匂いも好きだし、海を見れば「海っていいなぁ」と本心から思うのだけど、でも1年に1度か2度、海を見ればそれで満ち足りてしまうぐらいです。
うまく理由にならないのだけど、でもそのぐらいでちょうどいいのです。
どちらかというと、川とか山とか植物を見ている方が落ち着くし、人の住んでいる街を見ることの方がわくわくします。
私の「今年の海」はもう十分に充電されているから、これ以上もういいのです。

ビーチで泳ぐ気にならない私は時間を持て余し、勉強したり、本を読んだり、スーパーを探検したり、鞄の底に入れておいた毛糸で編み物をしたり(何たって「旅人手芸部」ですから)。今日は映画を見てきました。英語の映画で、スペイン語字幕つきのもの、勉強になるしと思って。•••半分ぐらいしか、分からなかったけれど。

あと1日のんびりします。
それからキューバに行きます。
ここでこんなに日にちがあるのは、キューバ行きのチケットが混んでいて数日間待たなければ取れなかったからです。

早くキューバに行きたい、と思いつつの日々のなかです。


2010年11月21日日曜日

「ふつう」を撮りたい


街の「ふつう」を撮りたい、と思っています。







先日帰国した知人からのメール。
「日本はさむいけどみんな日本語が話せるよ。
今は家のリフォームしたり、庭をたがやしたり、おしるこを車
で売ったりして楽しく過ごしてるよ。」
地に根が生えた生活もいいなぁと思いつつの11月。
きっと無い物ねだりでしかないのですけどね。

2010年11月19日金曜日

湿気と再会がうれしかった日


グアダラハラから飛行機に乗って2時間半、ユカタン半島の先っぽ、カンクンに着きました。

メキシコは物価の割にバスの値段が高いので、数十時間かけてバスを乗り継いでここまで来るよりは格安エアで飛んでしまえ、と一気に来てしまいました。びゅーんと。

大西洋です。カリブ海です。大リゾート地です。青い海です。
着いたときの空はこんな色をしていました。


空気に潮の匂いが混じっていて、湿り気があって、最近乾いたところにいたから
湿度が恋しかった私はその空気になんだかとてもうれしくなりました。

降りたとたん、「そこは危ないから写真をとるならあっちで」と英語で話しかけられました。
地元の人に英語で話しかけられたのなんてどのくらいぶりだろう、と思いながら。
別のおじさんにも「バス探してるのかい?ADO(バス会社)かい?」と。
あーでーおー(スペイン語読み)ではなくて、エーディーオーって。
「カンクンは英語が通じる」という噂は本当だったようです。

夕方雨がざあっと降って、シャワーのお湯は限りなく水に近くても気持ちがいいくらいで、
(お湯が出ない•••でもまぁいいや、と思いながら浴びていたら後にお湯になった)
なんだかそんな小さなことに新鮮な気持ちで驚いています。

宿に着いて、とりあえず近くのスーパーに買い物に行き、ぼーっと商品棚を見ていたら
急に名前を呼ばれました。「はるなさん!」って、日本語で。
振り返って見ると、アンティグアで会った人たちが、3人、いました。
アンティグアでは1日か2日、ほんの少ししか時間を一緒に過ごしていなかったのに、
名前を覚えていてもらったこと、こんなところでひょこっと会えてしまうことが
なんだかとてもうれしかった1日でした。

非常にメキシコっぽくないところ、カンクンでほんの数日だけのんびりします。



2010年11月18日木曜日

礼拝堂にて


先日お話した、ルイス•バラガンの、トラルパンの礼拝堂。
中庭のみ、1枚のみ、写真を許してもらったので。
ここの空間の雰囲気のようなもの、写真で伝えられる自信はないのですが•••。


お花をじーっと見ていたら、写真撮っていいよ、と言われたので。
この花の名前を聞いたけれど、忘れてしまいました。



かわいいなーと思って見ていたら、1つあげる、とシスターがお花をくれました。



なんだかすごくうれしかったのです。
あとになって思い出すことは、例えば人の善意とか親切とか、あるいは無愛想さとか(ほとんどないけれど)悪意とか、そんなこと、人の感じが多いような気がします。
だからこそ、人に対して誠実に気持ちよく、と思っています。
気持ちがささくれているときはそうもいかないのが現実ですが。難しい。

2010年11月17日水曜日

変わることと変わらないこと



大学生のころラジオで耳にしたことで、1つだけはっきりと覚えていることがあります。

「周りの環境がどんどん変わる中、その中にいて自分が変わるのは当然で、
変わるからこそ、自分の内面とか、本質的なところは変わらずにいられるんだ。」

私は大学生の頃から何か変わったのかな、変わったとしたらいい方に変わっているのかな、何も変わっていないような気もするのだけどな、とも思う最近。自分ではさっぱりわからない。

変わることに対して恐れないように、周りの人が変わったことに対して、たとえそれで自分から離れていくことになったり自分と何かすれ違いになったとしても、前向きにとらえるように、と思ったのです。それはその人の道なんだから、と。


先日、周りの人たちの「お誕生日リスト」を作りました。
それと同時に歳も考えてみて、どちらかと言えば年下の友人よりも年上の友人知人が多いので、周りが30前後40前後ばかりで、なんだかそれにはっとしたのです。
みんな歳が増えてるんだなぁ、ということに。それだけ年月が経ったんだなぁ、ということに。もちろん私も。
世間では「あらさー」と呼ばれるお年頃です。


宿で働いている、父さんフランス人で母さんノルウェー人の兄さんが言っていたこと。
「初めは旅行していたんだけどね、でも僕はこの街に恋をしてしまったんだ。
だからここに住むことにしたんだ。」
彼は確かに「恋に落ちる」という単語を使っていて、私は思わず聞き直してしまったのですが、
でもその気持ちも分かるなぁと素直に思う街、グアダラハラというところにただ今います。


2010年11月16日火曜日

いろとりどりな街


メキシコシティを出て、サンミゲル•デ•アジェンデというところに行き、
そしてグアナファトという街に行ってきました。
いろとりどりで、迷路のようなところでした。


連休の中だったからか、メキシコ人観光客が多くて多くて前に進めないほどでした。
ものすごい、「観光地」でした。街の規模と道を歩く人がつりあっていない、というか。
それでも、観光地になるのがよくわかる、かわいいかわいいところでした。
ヨーロッパからの入植者が入ってきたことがよくわかる家や窓の形、街の雰囲気です。






メキシコって広いのです。面積は日本の約5倍だそうです。

そして、さっき初めて知ったのですが、メキシコを表す漢字1文字は「墨」だそうです。
こーんなに色とりどりなのに、色鮮やかなのに、「墨」。
アメリカは「米」で、ドイツは「独」で、中国は「中」で、メキシコは「墨」。
(「米」なんて「ベイ」って読めば確かにアメリカの匂いはするけれど、「コメ」って読んでしまえばそれは日本みたい。「麦」とかの方がイメージ的にアメリカっぽい。勝手なこと言ってますが。)

グアテマラから少しずつ北上してきて、今は少し北の方にいるのですが(でもアメリカ国境までは遠い)、南部とここはなんだか別の国のようです。
物価も全然違えば(サンクリストバルとここでは、1.5倍から2倍ぐらいこちらの方が高い気がする)、街の雰囲気も、歩いている人の雰囲気も、違います。北にいくたびに先進国の匂いが濃くなっていく気がします。なんだか不思議な魅力に満ちた国です、メキシコ。


2010年11月13日土曜日

ルイス•バラガン


メキシコシティでぜひ見たいと思っていたものに、ルイス•バラガンの建築があります。

ルイス•バラガンを私に教えてくれたのは、見ているものがとても近い、1人の友人でした。
前回の旅に出る直前、建築についての雑誌が3冊、家に彼女から送られてきました。
1つの特集はガウディ、1つはル•コルビュジェ、そしてもう1つがルイス•バラガンでした。
「これ、絶対に好きになるはずだから、読んでみてね」と。

それ以来ずっと心にひっかかっていたルイス•バラガンの建築。
いつか見てみたいと思っていたものを見る機会に恵まれ、メキシコシティで見に行ってきました。

行ったものは、彼自身のために作ったルイス•バラガン邸と、「トラルパンの礼拝堂」と呼ばれるもの。

バラガン建築が語られるとき、「光」ということばがよく使われるような気がするのですが、その意味がなんとなくわかりました。
光の入り方、影の形、目に入る光景、その色、全てがぴんとしているようでした。

2つとも、とてもとてもすごかったのですが、特に印象的だったのは礼拝堂です。
礼拝堂に一歩入った途端、鳥肌が立ちました。
あの空気とか光の感じを何と言えばいいのだろう、と思います。
それはもう、ことばにならなくて、その空間で肌でしかわからないことのような感じでした。
ぴんとしていて、凛としていて、とにかく美しくて、空気が澄んでいて。
あまりに美しく、あまりに完璧で、目に見えないものの存在を信じる気持ちになる、というか。

思ったことは、バラガンという人は、とことん考えて、全く妥協せず隙を作らず、100%を求めてあの礼拝堂を作ったのだろうな、ということ。
こういうことが、空間で、その中の空気で、ぴんと分かってしまうこと。
私が考えている以上に、空気はいろいろなことを伝えるのかもしれないな、と思ったのです。


内部の写真撮影は一切禁止されているので写真がないのですが。
それでも、写真を撮ることができない分、体全体でその建物の空気を感じられるし、見ることに対する真剣味が違うような気がしたのです。

バラガンを教えてくれた友人に感謝します。
たくさんのいいものをいつも教えてくれてありがとう。


建物を見たときの以前の感想を。よかったら読んでいただけると幸いです。

2010年11月12日金曜日

だってふたを開けたらちょっと幸せだから。



インスタントコーヒーの瓶がバックパックの中に入っています。
「ジップロックとかに中身入れ替えればいいのに」などと言われるのもごもっともだし、
グアテマラに多少の荷物を置いてきたにも関わらず、バックパックはぱんぱんなのに、
インスタントコーヒーの瓶を手放すことができないのはこの女の子がかわいすぎるからです。
(と言ってもあんまりちゃんと見えないかもしれないですけど。)

「グアテマラに行く」と言った私に、かなりの人が「コーヒーだね」と返してくれました。
メルカドで売っている、地元の人が飲むコーヒーはあまりおいしくないのですが、
インスタントコーヒーはなかなかのもので、できればお土産に日本にたくさん買って帰りたいぐらいなのです。

2010年11月11日木曜日

光と闇のある街にて


ただ今、私はメキシコシティにいます。
大都市です。地下鉄があちらこちらに走り、人も車も多く、ビルは高い、大都市です。
日本のお醤油も、ポン酢もだしも抹茶でさえ、比較的簡単に手に入る、大都市です。

治安が悪いだの、排気ガスで空気が悪いだのと聞いて来たメキシコシティ。
治安も空気もグアテマラシティの方が格段に悪いように感じます。
それよりも思うのは、おもしろい、ということ。ここはおもしろすぎる、と思うのです。

エネルギーが渦巻いていて、パワーがあふれています。
何かを作り出そうとする、パワーみたいなものが確実にあるのです。
そしてそれができる土壌のようなものも、きちんとあるのです。
うまく言えないのですが。
でもここで、例えばフリーダ•カーロとかディエゴ•リベラみたいな画家や彼らの絵が生まれたことを納得するし、
岡本太郎のような強いパワーを持つ人がメキシコに惹かれた理由が、なんとなく分かるような気がするのです。

昔、沢木耕太郎の文章でこんな内容のものを読んだことがあります。
確か、「たとえ犯罪でも、何かが起こる街というのは、とても魅力的なのだ」という内容でした。

メキシコシティはそんなところだと思います。
治安は昔より改善されたとは言え、まだまだ「良い」とは言えないだろうし、
それでも、良いこと悪いことも含めて、ここは何かがあって、何かが起こる街だと感じます。
街が動いているというか、渦中にあるというか、変わっていく、というか。
これだけ人がいて大きいから、明るい部分も闇もきちんとそれぞれ存在している、というか。

少し離れがたいほど、メキシコシティは私にとって魅力的な街です。
きれいなものだけではない、ということ。人が住んでいる、ということ。
光も闇も包容してくれる街だということ。いろんな人が生きているということ。

メキシコシティに住むことを本気で考えてしまったほど、ぎゅっと好きになったところです。


2010年11月9日火曜日

ARE YOU HAPPY?


オアハカ郊外の、小さな村の市場より。






このことは覚えておこう、とか、このことは忘れたくないな、とか。
この子の笑顔はなんだかとてもすてきだった、とか。
そんな出会いとか出来事が毎日少しずつあって、そんなことがあることが幸せです。
もちろん、いいことばかりではないし、自分の言動に反省することもあるのですが、
それでもいい1日だったと思って1日が終わる日がたくさんあることが、幸せです。
みなさんどうもありがとう。

2010年11月8日月曜日

メヒコの道の上より


メヒコにはこんなすてきなお姉さんがたくさんいます。(半分嘘です。半分本当です。)



メキシコなのに、「マハトマ•ガンディー通り」。





メキシコの郵便局マークはとてもとてもかわいいのです。
この鳩!ピンクときみどり!今まであちこちの国で郵便マークを見たのですが、
メキシコのかわいさはその中でもかなり上位です。(あ、私の中で、ですけど。)




今日の朝、洗濯をしていた私の横にいた、30歳前後と思われる日本人男性2人の話。

「出会うっていうのは、お互いに愛を与えて、それで初めて『であう』ことだと思うんですよ、ぼくは。会うだけでは人と会った意味がないんです。」

「努力っていうのは、すれば報われると思っている人が多いのかもしれないけれど、本当は報われないことの方がずっと多いんです。それは宝くじみたいなもので、宝くじって買わないとあたらないでしょう、努力もとりあえずしてみないと報われるかどうかわからないんですよね。努力はしなきゃだめなものではなくて、とりあえずしてみるものだとぼくは思うんです。」

ひなたぼっこをしながら、朝からアツイ話し合いが進んでいて、その会話にほんの少し参加しながらも、ふーんと思いながら洗濯をしながら聞いていた話。
人の話をきくことが好きです。話すことも好きですが。