2010年12月19日日曜日

革命から50年と少し


今まで、いくつかの国でたくさんの人に会って、たくさんの笑顔を見せてもらったけれど。

キューバ人の笑顔はなんだか他のどの国の人々の笑顔とも違っていたような気がします。

太陽の光をさんさんと浴びたような、屈託がない、不安さや裏のない、笑顔だったような気がします。



余計なものがそぎ落とされた人、迷いがない、道がきまった人は格好いいといつも思います。

キューバでは、そんな格好いい人によく会いました。

それは、彼らは選択肢がないことからの格好よさなのかもしれません。道が決まっていることの格好よさ。


私たちは選択肢が多すぎるのかもしれない、と思います。だからいつまでたっても迷っている。

何になってどう生きるかも、お金の稼ぎ方にしても遣い方にしても、ものも情報も、選択肢がたくさんあります。

いいこととか悪いこととかではなくて、ただ、世界が違うのだな、と思います。


キューバの人はものも選択肢もなくて、限られた環境の中で笑顔で生きていて、

それは限られた環境だからこそ、幸せに暮らすことに貪欲なのかもしれない、と思います。

限られた環境だからこそ、ものを大切に使うし、今それぞれがいる世界での幸せを見つけ出そうとしている、というか。






ある日、キューバ中部のトリニダーという街を歩いていたら耳に入ってきた音楽。

それは、"We are the world"のスペイン語版でした。


なんだか、皮肉だなぁと思ってしまいました。

アフリカの子どものために作られた歌だとしても、アメリカ人が「世界はひとつ」と歌って、

そのアメリカの考える「世界」から除外されているキューバ人が、それをスペイン語で聴いているという現実が。

"we are the ones who make a brighter day so let's start giving"




友人のブログで読んだ、フィデル•カストロが言ったこと。

「社会主義の公式なるものは、どう考えても不公正です。 それでも、実際に労働で貢献している人々がほとんど何も入手できないのに、社会で最も怠惰な連中がほとんど全てを奪ってしまう不快極まる資本主義よりは、よほどましです。」




もし、カストロとチェ•ゲバラたちが革命を起こさず、今もまだアメリカが介入していて

キューバが資本主義社会だったとしたら。

人々はこんな笑顔を持っていたのかな、ということを考えます。

きっと、そうではなかったような気がしてならないのです。

歴史に「もし」なんてないのだけれど。でも、それでも考えてしまいます。



2 件のコメント:

  1. こんにちは。りょーすけです。

    一番下のゲバラの写真、トリニダーのバスターミナルのやつですよね。僕も行ったとき撮りました!

    年の瀬はメキシコで過ごすのかな。
    よい年末年始を!

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  2. りょーすけさん、こんにちは!

    そうです、おっしゃる通り、あれはトリニダーのバスターミナルの待ち合い室でした。こんな場所がわかってしまうなんて•••。
    次お会いしたとき、りょーすけさんがキューバ言ったときの話も聞かせてくださいね。

    年の瀬はグアテマラです。
    はい、ありがとうございます。りょーすけさんも、よいクリスマスと年末年始をお過ごしください。

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