2010年8月19日木曜日

シティふたたび

少しばかり前回の続きにおつきあいくださるとうれしいです。

数日前、お盆に田舎に行った母からこんなメールが届きました。
「じいちゃんも、畑のウリを盗まれたって言ってた。
どこにでも悪い人はいるものだね。」

以前のブログでも書いたのですが、私は性善説を信じているから、人はもともと善いって信じているから、強盗する人にも何らかの理由があったと思っています。
でも、人は簡単には信じられるものでもなくて、疑ってかかった方が、何かあったときに落ち込むことも動揺することもなく、そういうものだよな、と自然に受け入れられるのかもしれません。初対面の人をまずは疑うというのは、ある意味、自分を守るための生きる術のようなものかと思います。「人はみんないい人」と思うより、「どこにでも悪い人はいる」と思っている方が自分の身を守れるし、強く生きていけるかもしれないし、世を渡っていけるような気がしたのです。


前回の事件(?)から3日後、またグアテマラシティに行ってきました。アンティグアからバスに乗って、シティに着いたら鞄を切られたときに乗っていたバスと同じ路線のバスに乗り換えて、目的地まで。

その数日前に強盗に遭いそうになったばかりだったから少しためらったけれど、シティに行く用事があり(と言っても絶対行かなくてはいけない用事でもなかったのですが)、日程的にもその日を逃せばずるずると延びてしまいそうだったから行ってきました。(事件があった日は土曜だったので、私の用事が済ませられなかったのです。)
虫の知らせみたいなものをなんとなく私は信じているので、少しでも嫌だな、と当日思ったらやめよう、と決めていたのですが、その日の午前中(平日午前中はいつも学校です)、あ、行ける、今日行かなくちゃいけない、と思ったからその勢いで、バスに乗って。

バスを降りるところがわからなくてきょろきょろしていると周りの人が助けてくれて、バスを降りたら横に座っていた人がバスの中から「あっちに歩け!」ってジェスチャーで教えてくれて、道の上でもたくさんの人に助けてもらい、バスは相変わらず混み混みで私は鞄を抱えて緊張して乗っていたけれど、それでもたくさんの人に助けてもらって、あたたかな人にたくさん会いました。

そう、世界ってこういうものだったよな、と思ったのです。
困っている人を見たら助けてくれる人の方が、良からぬことを考えている人よりずっと多いんだよな、と。

それが分かったから私はまたシティに1人で行けるし、別の街にも行けるし、旅を続けられるように思ったのです。

それに、私はやっぱり人を信じ続けたい、と思ったのです。
疑ってかかる方が楽だし失望もしないかもしれないけれど、疑うことよりは人を信じていたいのです。
強盗や嘘つきや人騙しがいるとわかっていても、「人を信じない世界」よりも「人を信じる世界」の中で生きていきたいのです。


鞄は縫って使っています。
こんなことで鞄を使うのをやめたら鞄に申し訳ないし、私自身も、こんなことでくじけるもんか、という気合いを込めて。


今回のことはいいきっかけでした。
去年1年間の旅ではこういうことはなかったし(スリはあったけど、刃物は出てこないのです)、ここに来ても自分の周りが平和だし、アンティグアだったら1人で夜に出歩くことをいとわなくなっていたし(本来それは危ないことなのに)、どこか、日本と変わらないような治安だと錯覚してしまっていたから。改めて、気をつけなくちゃ、と思った事件でした。


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