2010年8月9日月曜日

勉強ってどういうことだろう。

今、私の周りにはスペイン語を勉強している人たちが何人かいます。


机に向かって1日7時間勉強する人もいれば、「おれに学校は合わねぇ」と言って街に繰り出し、酒場をまわりながら人と話をすることで言葉を身につけている人もいます。


ここはマンツーマンで教えてもらえるので授業もいろいろで、文法をがしがし勉強している人も、社会問題や文化風習など、何か1つのテーマについて話す練習をする人、「おれ文法きらい」「じゃあおしゃべりしてよう」とおしゃべりしている人、料理の話をよくするのかグアテマラ料理に詳しくなっていく人、いろいろなやり方でそれぞれ勉強しています。


それぞれがそれぞれのやり方で勉強していて、分からないところがあれば誰かに尋ねたり教えてもらったり、「こんな単語覚えた」なんて言いながらお互い少しずつ刺激し合いながら助けてもらいながら過ごしています。


ごはんを食べて、お茶をいれておしゃべりして、時にはお酒も飲んで、でも誰かが「勉強しなきゃ」ってつぶやいて、別の誰かが「そうだね」ってうなずきながら勉強に戻る(勉強に戻らずおしゃべりしているときもあるのですが)、学生寮のような雰囲気の中にいます。


この中にいると、自分がやりたいこと必要としていることをそれぞれのやり方でやることがそれぞれの勉強だな、と思います。今ここにいる人たちが大人で、スペイン語を身につけるという意識があり、自分のやるべきことを分かっているからできることなのかもしれないのですが、みんな勉強が好きだしスペイン語を伸ばしたいと思ってがんばっているし、こんなにのびのびと勉強している人たちがたくさんいると、勉強ってこういうものだよな、ということを思います。


学校教育は大切だと思うし、義務教育で教わることは大人になって使わないことだとしても生きる上で知っておくべきことがほとんどだと思っています。だから学校教育を否定するつもりはないけれど、でももう少しだけゆるやかにのびやかに、教育に対してがちがちに固めなくてもいいような気がするのです。


それぞれのやり方でやることを日本の教育の中でも、もう少し、ほんのもう少しだけ認めてもいいのではないかな、と思います。

そしたらもっといろんな可能性が広がるかもしれない、と思うのです。

大げさかもしれないけれど、そうしたらもっと国が元気になるような気がするのです。


いろいろな意見があるでしょうし、何が正しくて何が間違っているのかはわからないし、人のやり方考え方についてどうこう言うつもりは全くないのですが、最近ちょっと思ったことです。つい先日、宿に日本の新聞がおいてあり、ふと手に取ったその見出しが偶然にも「引きこもり70万人」だったので余計に考えてしまったのです。



私は今日も自分の勉強をします。

もっと効率よく勉強した方がいいとか、ぶらぶらせずに勉強する方が早く上達するとか人には言われてしまうかもしれないのですが、たとえ遠回りだとしても自分が必要だと思うことを自分のやり方でしようと思うのです。


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