2010年11月11日木曜日

光と闇のある街にて


ただ今、私はメキシコシティにいます。
大都市です。地下鉄があちらこちらに走り、人も車も多く、ビルは高い、大都市です。
日本のお醤油も、ポン酢もだしも抹茶でさえ、比較的簡単に手に入る、大都市です。

治安が悪いだの、排気ガスで空気が悪いだのと聞いて来たメキシコシティ。
治安も空気もグアテマラシティの方が格段に悪いように感じます。
それよりも思うのは、おもしろい、ということ。ここはおもしろすぎる、と思うのです。

エネルギーが渦巻いていて、パワーがあふれています。
何かを作り出そうとする、パワーみたいなものが確実にあるのです。
そしてそれができる土壌のようなものも、きちんとあるのです。
うまく言えないのですが。
でもここで、例えばフリーダ•カーロとかディエゴ•リベラみたいな画家や彼らの絵が生まれたことを納得するし、
岡本太郎のような強いパワーを持つ人がメキシコに惹かれた理由が、なんとなく分かるような気がするのです。

昔、沢木耕太郎の文章でこんな内容のものを読んだことがあります。
確か、「たとえ犯罪でも、何かが起こる街というのは、とても魅力的なのだ」という内容でした。

メキシコシティはそんなところだと思います。
治安は昔より改善されたとは言え、まだまだ「良い」とは言えないだろうし、
それでも、良いこと悪いことも含めて、ここは何かがあって、何かが起こる街だと感じます。
街が動いているというか、渦中にあるというか、変わっていく、というか。
これだけ人がいて大きいから、明るい部分も闇もきちんとそれぞれ存在している、というか。

少し離れがたいほど、メキシコシティは私にとって魅力的な街です。
きれいなものだけではない、ということ。人が住んでいる、ということ。
光も闇も包容してくれる街だということ。いろんな人が生きているということ。

メキシコシティに住むことを本気で考えてしまったほど、ぎゅっと好きになったところです。


2010年11月9日火曜日

ARE YOU HAPPY?


オアハカ郊外の、小さな村の市場より。






このことは覚えておこう、とか、このことは忘れたくないな、とか。
この子の笑顔はなんだかとてもすてきだった、とか。
そんな出会いとか出来事が毎日少しずつあって、そんなことがあることが幸せです。
もちろん、いいことばかりではないし、自分の言動に反省することもあるのですが、
それでもいい1日だったと思って1日が終わる日がたくさんあることが、幸せです。
みなさんどうもありがとう。

2010年11月8日月曜日

メヒコの道の上より


メヒコにはこんなすてきなお姉さんがたくさんいます。(半分嘘です。半分本当です。)



メキシコなのに、「マハトマ•ガンディー通り」。





メキシコの郵便局マークはとてもとてもかわいいのです。
この鳩!ピンクときみどり!今まであちこちの国で郵便マークを見たのですが、
メキシコのかわいさはその中でもかなり上位です。(あ、私の中で、ですけど。)




今日の朝、洗濯をしていた私の横にいた、30歳前後と思われる日本人男性2人の話。

「出会うっていうのは、お互いに愛を与えて、それで初めて『であう』ことだと思うんですよ、ぼくは。会うだけでは人と会った意味がないんです。」

「努力っていうのは、すれば報われると思っている人が多いのかもしれないけれど、本当は報われないことの方がずっと多いんです。それは宝くじみたいなもので、宝くじって買わないとあたらないでしょう、努力もとりあえずしてみないと報われるかどうかわからないんですよね。努力はしなきゃだめなものではなくて、とりあえずしてみるものだとぼくは思うんです。」

ひなたぼっこをしながら、朝からアツイ話し合いが進んでいて、その会話にほんの少し参加しながらも、ふーんと思いながら洗濯をしながら聞いていた話。
人の話をきくことが好きです。話すことも好きですが。


2010年11月7日日曜日

死者が戻って来る日に思ったこと


日本のお盆にあたる「死者の日」に、こちらの人はみんな家族で夜、お墓参りに行くということで、

私も墓地に行って来ました。


そこで目にしたもの。

ずらっと並べられたろうそく、お供えものの花、人人人人、音楽隊、

墓地の周りには移動式遊園地、タコスやらポップコーンやらとうもろこしやらの屋台。

楽しそうな人たち、カメラを持った観光客、仮装した人たち。とにかく人人人人。


その印象は、楽しそうだな、ということです。

みんなにこにこして、わいわいして、わあわあ言ってきゃあきゃあ言って。

墓地に、「暗さ」とか「じめっとした感じ」が全くなかったのです。明るく、楽しく。

それは完全に、「お祭り」でした。故人をおもいながら、楽しむというお祭り。

人々がその行事を楽しみにしているというお祭り。

勝手に思ったことは、こんなに人々が楽しんでいるなら死者も楽しいかもしれないな、ということ。


以前別の墓地に昼間行ったときは、お墓参りをする家族、ピクニックするカップルの姿を見ました。

お墓のある場所に行くということが、身近なことのような様子でした。

日本より、墓地が生活に入り込んでいることがなんだか少しうらやましかったです。


ろうそくの光のある美しい場所で、人の笑い声のある、明るい墓地、それは何だかいいな、と思いました。

私がもし死んだ人だったら、しめっとした空気の中よりも人々の笑い声の中で眠りたいです。


こんなお墓参りもあるのだ、と思った死者の日でした。



ただ今メキシコシティにいます。

とにかくとにかく寒いです。冬のようです。

暖かいところに行きたいのですが、シティにいることが楽しすぎるのであと数日ここにいます。


それではまた、おやすみなさい。


2010年11月6日土曜日

がいこつはかわいい?


死者の日のオアハカより。


本気で買おうかどうか迷ったがいこつピアス。(買わなかったのだけど。)
かーわいいなー。でも、冷静になったら、今後つけないかもと思ったので。



相変わらずこんな顔も街にあふれていたのです。
これも買って仮装しようかとちょっと本気で考えていたのですが•••。



パンにはこうやって人が埋まっているのです。
しかもきちんと食べられるのです。(あまり味はしないけれど。)
でもこのパンはおいしくないのです。



お供えの花はマリーゴールド。
どこでもみんなマリーゴールドを買っていました。

2010年11月3日水曜日

モモステナンゴという村にて。


ガイコツ祭りの話は少し置いておいて。



グアテマラの、モモステナンゴという村に行ったときのこと。
女の子たちと知り合いになりました。

「スペイン語話す?」少しだけね。
「どこから来たの?」日本。あなたたちは?
「ここに住んでるの。ねぇ、名前は?」ハルナ。
「何してるの?」うーんとね。旅行中なの。
「ねぇ、写真撮って」いいよ。
「できたら、送ってほしい」うん、いいよ。
「ほんとう?」うん、ほんとう。送るよ。住所は?
「えーっとね。(住所を書く。)いつごろ?」たぶん11月ぐらいかな。
「待ってるからね」うん。送る。
「ありがとう、またね」こちらこそどうもありがとう。

ことばがわかるって、こういうことなんだ、と思ったのです。
ほんの少しの、何でもない会話がきちんとできるということ。
私のスペイン語はまだまだなのですが、それでも相手の言っていることが大体わかって、自分の言いたいことも多少は言えるようになりました。
ふつうの、日常の、会話の中に少しでも加われることがうれしかったのです。
理解しがたい文法がわかるとか、新聞が読めるようになるとかよりも、こんな会話ができたことが、なんだかとてもうれしかったのです。



人の顔つきがおだやかであたたかくて、人が人の表情をしている、ような、村でした。
すてきな笑顔をたくさん見せてもらった、すてきなすてきな、ところでした。

グアテマラの郵便事情はとても悪いのですが、彼女たちに写真がうまく届きますように。


2010年11月1日月曜日

ガイコツ便り


メキシコのオアハカはただ今こんな様子です。
街の中心の公園には、ガイコツの砂絵が作られています。



メキシコは中米ではなく北米、らしいのです。
私は中米のイメージがあったのですが、北米だとメキシコ人は言うのです。

確かになるほど、ここは中米ではないのかもしれない•••と思ったこと。
宿のキッチンのガスコンロが、ひねるだけで火がつくこと。ここずっと、コンロをひねった上でマッチの火を近づけないとコンロに火がつかない生活だったので、ひねっただけでぼっと火が出ることに、先進国の匂いを感じてしまいました。
「うわぁ火が出た」と一緒にいる子とおおはしゃぎです。
(でも市場ではマッチ売りのおじさんおばさんがいるので、マッチで火をつける家庭も多いのかもしれないのですが)



今日一番繁盛したのはアイス屋ではないかと思うほどの暑さ日差しの強さでした。
今年も残すところあと2ヶ月!