2012年10月11日木曜日

何もないということの衝撃


こちらの写真は南三陸町。街の中心だったところ。
JRの駅があって、市役所があって、商店街があったということをgoogle mapが教えてくれていて、でも実際にはそこはもう平地で、建物の基礎のみ残っていて。
確実にあったもの、ある方が自然なものが、今はぽっかりない、というその場所は、
何だか異様で、衝撃でした。

それはニューヨークのグラウンドゼロに行ったときと同じ衝撃。
周りは高いビルばかりで、その土地もそんなものがあっただろうに、ないという不自然さ。何もないという衝撃。


9月に入り、「ブログを頻繁に書く」宣言をしたのもつかの間。
急に東北に行くことに決め、仙台に行ってきました。
前回の記事での、「偶然再会できた友人」が8月に仙台にボランティアに行き、
その話を聞き、あ、私も行こう、と思ったから。時間はあるし。

ということで、仙台に行って参りました。
主にして来たことは、がれき拾いや農作業。仮設住宅にもお邪魔させてもらいました。
向こうで出会ったひととレンタカーを借りて、海沿いの街(だったところ)をぐるりとしてきたり。

1年半前、地震が起きてから、私はきちんと東北に目を向けてこなかったと思います。
今だって、きちんと何かを「見た」とか「分かった」わけではないけれど。
それでも、今回行って分かったことは、復興はほんとうにまだまだで、機械ではなくて
人間の手でするべきことがたくさんあるということと、地震はほんとうに起こったし、津波はほんとうに来た、という実感。

例えば海沿いで活動をするとき、もし地震が起きて津波が来たときのために、常に方角と避難場所を確認していたこと。
新聞を読んでいても、全国紙のトップニュースが地方紙のトップニュースではないことがしばしばあったこと。(中国の反日デモ等、比較的大きな話題であったとしても、河北新聞は震災や復興に関しての記事がトップの日がほとんどだった。)
泊まっていたところの台所は、使っていないときは必ず元栓を閉めるよう厳しく言い渡されていたこと。
暮らしの中のほんの些細な事柄が、ほんとうに地震があって、ほんとうに津波が来たということをひしひしと伝えているようでした。


ボランティアのあり方についての矛盾を感じることもあったし、
問題が大きすぎてどこをどう支援すればいいのかもよくわからないし。
自分のしていることが何かこの先の明るい方に結びついているのかも
よくわからなくなったことが多々あったけれど。

それでも、自分のしたことで「助かった」と言われたこと、
色々なものが埋まった土だったのが少しきれいな土になったこと、
毎月のように遠くからでも東北に通って復興のための活動をしているひとたちに出会えたこと、
自分のことよりも他人のことを考えて動いているひとたちがたくさんいることを知れたこと。
それだけで、行ってよかったと私は心から思います。
継続的に関わることを真剣に考えようと思います。


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