2011年2月19日土曜日

音があること、ことばがあること



キューバに行ったとき、耳の聞こえない男の子に会いました。
耳が聞こえなくて、しゃべれなくて、でも数年旅を続けている。

彼は自由に旅をしていて、耳が聞こえないことなんて大したことなく旅をしている、
私にはそう映りました。
ほんとうのところはどうか分からないけれど、例えば私は女だから1人で夜出歩けないとか、
イスラム教の国を旅しにくいとか、目が悪いからコンタクト用品を持ち歩かないといけない、とかと同じ程度の負担のように見えました。
そのぐらい、彼はふつうに、旅をしているように見えたのです。

みんなでアイス食べたりお酒を飲んだり、よく寝る私を「このあと昼寝でしょ」なんて
からかって。
何も違わない、と思ったのです。
私はそれまで身近にろうの人がいなかったから初めて思ったことだけれど、何も違わないと。

ふとつぶやいたことばが届かないとか、思わず「ねぇ」って言ったことばが届かないとか、
そういうことなんだなと思うと同時に、ことばがないからこそ持っているものもあるのだ、
ということを感じました。

それは表情で、彼の笑顔は何だかもうスペシャルで、それは聞こえない人独特の、
彼らのみが持つスペシャルさで、周りの人を引きつけずにはいられないもの、
だったような気がするのです。


私たちは唇の動きか、筆談かジェスチャーかで会話をしていました。
でも、なんだか、きちんと伝わる気がしたのです。

たまに思うのは、ことばがない方が、気持ちが伝わるのかもしれない、ということです。
ことばを使えると、ことばに頼ってしまうから。ことばで伝えられること伝わってくることが
全てだと思ってしまうから。

ことばというのは、人に何かを伝えるためのものだけれど、それでも、
ことばが邪魔をして伝わらないこともあるような気がするのです。


私は今スペイン語を勉強しているし、もっと喋れるようになりたいと思っているけれど。
それでも、ことばがなくても人に気持ちを伝えられるような人でありたい、と思うのです。


なんだかまとまりがない文章になってしまったけれど。
そんな出会いのあったキューバでした。

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