気持ちがふわふわしていると、写真もふわふわします。
本当に正直に出てしまうなぁ、と思って。
こちらはGWに行った、高知の道の上にて。
「土地に呼ばれる」という感覚が、あります。
旅をする人たちはよく、そのことばを口にします。
「ここに呼ばれちゃったからね」「あそこには呼ばれてなかったね」
知らず知らずにある土地にいることになったり、離れられなくなったり。
もしくは、行こうとして計画を立てていても何かの理由で行けなくなったり。
(例えば土砂崩れで道がつぶれるとか、バスチケットが取れないとか、そんなささいなこと。)
人知を越えたと言っては大げさかもしれないけれど、でも、自分の意思とは
別のことがらからある土地にいることになったり、もしくは離れたり。
そういうこと、目に見えなくて理屈でもない直感のようなものに素直に従って、
自分が「いる」ところを選びながら、割と今まで暮らしてきました。
高知は、というか四国は私にとって特別なところでした。
初めて四国に降りたそのときから、ここに住みたい!とはっと目が覚めるように思い、
高知にご縁があって初めて足を踏み入れたときから、「こんにちは、よく来たね」と
迎えられているような感覚。
2年間住んでいたときは、その場所にいることがうれしくてうれしくて仕方なかった日々。
空の青の濃さも、気合いの入った雨の降り方も、土佐弁の音もことばの言い回しも、
人々の顔つきも、目に入る風景、街の匂い、とにかく全てがわけもなく好きなところでした。
土地に恋していた、という感じ。呼ばれちゃったんだなぁ、ここに、と思っていました。
そんな高知に久々に行った先日。
楽しかったのだけれど、高知はほんっとに素敵なところだったのだけれど。
4年ぶりに会っても離れていた時間なんてないように話せる大好きな友人もいるのだけれど。
それでも、何かが確実に違っていて、以前のような気持ちではありませんでした。
土地は変わるし、人も変わる。
土地が変わったのか、私が変わったのかは分からないけれど、でも、以前のような
「特別」な感じはもうないということが、なんとなくはっきりわかったのです。
まだまだ、もう少し、私の「土地をさがす旅」は続きそうです。
身にふりかかるご縁の糸をたぐりつつ、次の居場所を見つけようかと思っています。
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