2022年6月18日土曜日

そろそろ暮らしに緑が欲しい

少し前に会った猫と暮らしている友人が言っていたこと。

「ひとって絶対に他者とか他の生き物のスキンシップとかぬくもりが必要で、独り身の私は人間でその相手がいないから、猫を飼うことで心穏やかにいられるんだよね」というようなこと。

なんとなく分かるような気がします。今の私は2歳児の息子をぎゅーぎゅーすることが精神安定剤みたいなところはあって。


以前、私は植物を育てることが好きでした。

一人暮らしの小さなアパートでも、ベランダに溢れるほど(洗濯物を干すスペースが狭くなるほど)あれこれ植物を置いて育てていて。

独り身だったころのことです。今なら、それが上の友人にとっての「猫」のような存在だったのだな、とうっすら思います。植物であっても他の生き物のお世話をすることが自分の心の拠り所のような。


3年前、妊娠したときに、お医者さんから「土いじりは控えるように」と言われて以来、植物を身近に置いて暮らすことから遠ざかってきたけれど、ようやく、最近植物が新たに欲しいなと思うようになりました。

たとえ植物であっても生き物を育てることってエネルギーが要るし、新たにお世話がしたいと思うなんて、私に余裕が出てきたことの表れだな、と思うとなんだか感慨深いです。(と言っても毎日ばったばたなのですけれど!)


写真はアルゼンチン、ブエノスアイレスの道端で売られていたクローバー。

育てるならこんな素朴なのがいい。


 

2022年4月23日土曜日

私の夢は


 

私の夢は、1年のうち数ヶ月はどこか外国にアパートを借りてくらすこと。

タイのチェンマイとか、ラオスのルアンパバーンとか、ポルトガルのどこかとか、

アルゼンチンのブエノスアイレスとか。

そのときに行きたいなと思った街へ。

見晴らしと風通しのよい小さなアパートを借りて、毎日散歩して、

街の風景を見ながら暮らしたい。

夏なら、冬のために靴下とかセーターを編みながら。

60を過ぎて仕事のリタイアを考えるときになったら、そんな生活が目の前にあればいいな、と本気で思っています。

2022年4月6日水曜日

2歳4ヶ月との日々


 

「子は無条件で愛されていると言うけれど、無条件で愛されているのは親の方だ」ということをどこかで以前耳にしたことがあるのだけど、それは確かにほんとうだ、としみじみ思う日々です。

2022年3月12日土曜日

2022年3月


心のざわざわするニュースの多い3月。

例年だったら3月は暖かくなるし自分のお誕生日もあるしで
うきうきする時期なのですが、この3月は全くそんなこともなく、
遠くの国のひとの暮らしを思ってそわそわする日々。

好きなひとたちとお茶飲んで、お喋りして、笑って、
苦しい思いをしている人たちがそんなことを当然としてできる日々に
戻ることを祈るばかりです。

 

2022年2月23日水曜日

おしゃべりがしたい


このコロナ禍で世界はがらりと変わってしまって、

窮屈さを感じているひとも多いと思うのだけど、

私は何に飢えているかというとひととのおしゃべり。

子供が小さいということもあり昔のように自分の時間を全て自分のためには

使えないことと、人と会いにくい世の中になってしまったことから、

友人たちとおしゃべりする機会がぐんと減ってしまって、なんだかもう、

とても、何かが足りない日々。

お茶を飲みながら、とりとめもなく人とだらだらおしゃべりするような時間がほしい。

あぁ、ひとと顔見て話したい。マスク越しなんかじゃなくて。

2022年2月12日土曜日

なつかしのタイランド

 


私の勤め先は7月ごろ1週間の夏休みがあって、ここ数年(出産前まで)は、毎年のようにタイに行っていました。
アジアで好きな国は他にもたくさんあるけれど、なぜか、引き寄せられるようにタイへ。

北の都市、チェンマイでマッサージを習ったり、南の方の小さな村でのんびりしたり。
あるいはバンコクの市場をのんびりしたり。
着いて数日は日本を歩くときの速度で歩いて、「次何しよう」と考えてばかりいるのですが、だんだん、ぽけっとなって、歩く速度が遅くなり、頭の回転も話すスピードもゆっくりになり、なんというか心地よいところにネジが緩んで自分が着地する感じに。
自分にとってのぴったりなところに戻ってくる感じがして、きっと「肌が合う」ってこういうことなのだろうな、と思います。

日本の生活がストレスフルなわけでは決してないのだけれど、あぁ、なんか固くなってたなわたしは、といつも気づきます。

そうなっても期間は1週間、「調整」が終わったところで帰国なのですけれど。

いつか2歳の息子にもタイの空気を吸わせてあげたい。


2022年2月5日土曜日

書くことを、もういちど

 


昔は日記やブログや「文章」をよく書いていたのに、育児と仕事と家事に追われる毎日、時間があればぼーっとしておやつを食べるか、わしわし編み物をするか、もしくはSNSを覗いてあっという間に時間が経ってしまうかの日々。

文章を書くことは一種のメディテーションのようなもので、自分にとって本当は大切なことってわかっていても、なかなかそこに時間を割けなかったから。この際エイヤと一旦終えたはずのブログをひっそりと再開することにしました。

ブログを終わりにして10年近く経っているのに、それでも読んでくれている方がいるらしい、という事実も私を後押しして。


写真は確かウルグアイのどこか住宅地のバス停。

あれから世界はずいぶん変わってしまって、未知のウイルスにより遠くに行くことが難しくなってしまって、旅していた日々が幻のよう。