2010年10月7日木曜日

días, semanas y meses





最近思うこと。
何かがくい違って離れていく人と、それでも離れない人との差は
どこから来るのだろう、ということ。

最近少し困っていること。
英語を話していてもスペイン語が混じってくること。
英語の単語の代わりにスペイン語のことばが出てくること。

今日印象的だったこと。
授業中、日本の年金の制度の説明をしているときに言われたこと。
「じゃあ、日本人は将来のための準備をいつだってしているのね」驚きながら。
それは当たり前すぎるぐらいの当然なことだと思っていたのに、
ここではそれが当然ではないのだ、ということ。
こちらの人はお金があったら蓄えるよりも、その日の楽しみに遣う人が、
確かに多いとは思うのだけれど。

最近の楽しみ。
マシュマロを焼いておしゃべりしながら食べること。
ごはんを作るのは相変わらずの日々の楽しみ。
最近天気がいい日が続くので、そんな日の夕方のお散歩。


「ブログ更新がんばる週間」、週の真ん中の中途半端なところから始めたけれど
とりあえず1週間経ったのでひとまず終わりにしようと思います。
読んでくださっていた方々、ありがとうございました。

今後も、静かにささやかに更新していますので(毎日はできないと思いますが)
読んでくださると幸いです。

2010年10月6日水曜日

出会うことと別れること



今日はひとりごとです。
(いつもひとりごとですけれど、今日はいつも以上のひとりごとです)


以前、会いたいと強く思っていた人がいました。
実際その人に頻繁に会うことはできなかったけれど、
でもその人の言葉は私にきちんとまっすぐに届いていて、
会えなくてもその人の存在が確実に私に必要だった時期があって、
私が、今の私でいるのはその人との出会いがあったからだと思っています。

最近ふと、でもはっきりと気付いたことは、以前ほどの気持ちでその人を欲していない、
ということ。いつかまた会いたいけれど、でも前ほどの強い気持ちで「会いたい」
というのでもないな、と。
「私はまたこの人に会わなくちゃだめだ」ではなくて、「会えたらいいな」。

それが分かったとき、1つ自由になった気がしたのです。
その人に会いたいという気持ちが、どこか自分を縛っていたように思うのです。
うまく言葉にならないのだけれど、その人と出会ったことの意味みたいなものが、
果たされたのかな、と。

人と人が出会うには意味があることと、反対に別れにも意味があることを思います。
その出会いが持つ意味とか約束みたいなものが果たされたら、人と人は自然に
離れるようにできている気がするのです。

だから、今私の周りにいる人は私にとって必要な人たちだということを思います。
私自身がその存在を必要としているというよりも、出会うことに意味がある人たちだと。
人と人の関係はうまくいくことばかりではないし、合う人も合わない人もいるけれど、
たとえその人との出会いが幸せと直接結びつかないとしても、神様が私のために
出会わせてくれた人たちだと。

だから、人との別れを以前ほどの気持ちで悲しむことがなくなりました。
とは言えまだまだ別れることには慣れないし(きっと一生慣れることはないでしょうが)、
それまで確実に存在していたその人との時間をその後過ごすことができないと思うと
切なくなってしまうのですが、それでも最近はもう少し自然に、きっとそういうものなのだ、
と思います。
別れるときは、それは離れる時期なのだ、ということ。

会うべきときには人に会えるし、会えなかったらそういうものだったのだ、
ということを自然に思います。

会えるときにはきっと会えると信じています。
誰とでも。今まで別れてきた誰とでも。


今私の周りにいる全ての人たちに感謝します。
今までに出会った全ての人たちにも感謝します。
今現実に近くにいる人たちにも、遠くにいる人たちも、
このブログを読んでくれている人たちにも。


ひとり言におつきあいいただき、ありがとうございました。
「出会い」のたくさんある日々になりますように。

2010年10月5日火曜日

市場のあるところに住みたい


どこの国でも私はほんとうにほんとうに市場がたまらなく好きで、
用事もなくてもあっちこっちとうろうろしているだけで、
あっという間に時間が経ってしまいます。


ここの市場は月•木•土です。
週3日通いつめているわけではないのですが、「明日はメルカド」と思うと
わくわくしながら前日は眠るのです。



アンティグアの市場は入り組んでいるので、方向感覚をつかむまでに1ヶ月かかりました。
今はどこに何があるか、トマトを買うならどこで、あのおばちゃんのところには何があって、
野菜売場にたどり着くための近道はどこで、そんなことがすっかり分かります。


人の内面って顔に出るんだな、ってことをここで改めて思います。
メルカドは大きくて、例えば玉ねぎを買おうとしても、玉ねぎが置いてあるお店は
100以上あると思うのですが、何か感じがわるいひとも確実にいるのです。
そしていい人も確実にいるのです。だから、買うのはもちろん感じのいいひとのお店です。
人柄って顔に出るんだなってしみじみ思います。



住むなら市場のある街に住みたい、と思います。


2010年10月4日月曜日

日常は過ぎゆく


私の日常。
勉強、学校、洗濯、ご飯作り。
お茶の時間、おしゃべり、日記、ぼーっとうたたね。
7時前後起床、11時前後就寝。


インドとトルコで会い、クルジスタンを少し一緒に旅した友人がグアテマラにやってきたときに作ったカレー。
ここに来てから、前回の旅で出会った人すれ違った人と4、5人再会していて(前述の友人とは連絡を取っていたけれど他の人は偶然)、地球は本当につながっていたらしい、ということをよく思います。



紅茶を飲みたくて、"Te Negro"(Black tea)を買ったら予想していた味と違って、
「おいしくなーい」と言っていたら、同宿の人に言われたこと。
「そりゃそうさ、見てごらん、MONDAISAって書いてあるじゃないか。」
•••確かに。モンダイサ。
「問題さ」って。「問題さ」って。
でも慣れると飲みやすくて嫌いな味ではなくって、なんだかんだ3箱目を買ってしまったほどの「モンダイサ」。



また1週間の始まりです。
あたたかな日々をお過ごしください。

2010年10月3日日曜日

トゥクトゥクが走る


初めてグアテマラに着いたときにまず思ったことは、アジアみたいだということ。


空港の出口を一歩出た途端、

「タクシー?タクシー?」

「どこ行く?どこ行くんだ?」

それはまるでベトナムでバスを降りた途端のような、インドの鉄道駅を一歩出た途端のような

様子だったのです。


人の足となるバスは、それはそれは派手派手な装飾が施されているし、

バスに乗っていても、お菓子やら鉛筆やら何かの道具やらの売り子が乗り込んでくるし、

明らかに2人掛けの椅子には3人、3人掛けの椅子には4人座るようなシステムになっています。

料金徴収のおじさん(たまに少年も働いている)はほとんど常に行き先を叫んでいるし、

満員バスでは出入り口に片足だけで立っている人もいるし、それはもう、ネパールやら

インドやらと全く同じ様子なのです。


そしてここではトゥクトゥクも走っているのです!

まさかトゥクトゥクという名前をここで聞くとは予想もしていなくて、驚いてしまいました。

地域によってトゥクトゥクと呼ばれたりリキシャと呼ばれたり、バイクを改造して人が乗れるように

した、東南アジアからインド、パキスタンまでよく目にした乗り物がここでもよく使われています。


ここのトゥクトゥクの形はインドとかパキスタンを走っているのとほぼ同じ形でした。

でも私が好きなのは(見ていてデザインが好きなのは)タイのトゥクトゥクと、

インドのサイクルリキシャ(バイクではなく自転車の後ろに人が座れるようになっている)です。


私がアジアよりもここを先に知っていたら、アジアに行ったときに「中米みたいだ」と

反対のことを思うのかもしれないのですが。

それでも、そんな光景が目の前にあることがなんだかとても不思議だし、

大陸が違っても地球はつながっているんだ、ということをしみじみと思います。


2010年10月2日土曜日

夢の世界の入り口のような。



私の方がきっともっと上手にかわいいのを作れると思うのだけれども。

グアテマラのあちこちでこれが売られていて、たまにミッキーみたいなのとか
プーさんみたいなものもいるのですが、それはどうしてもニセモノで、でも、
グアテマラ人はにこにこしてうれしそうに幸せそうにこれを買って行くのです。

そういうのって平和です。
そんな平和な幸せってちょっといいなと思いながら。



覚えても覚えても。
知らない単語が次から次へと出て来るのです。
当然なのですが、辞書の中は知らない単語だらけなのです。

気がつけば10月。光陰矢の如し。
日本は季節が移り変わっているはずなのに、
ここは季節の移り変わりがあまりないまま10月です。
「ちょっと肌寒くなってきたから長袖をそろそろ着よう」
という感覚が、少しだけ、恋しいです。

雨が続いた今週。
明日は晴れますように。
¡Ojalá que haya sol mañana!

2010年10月1日金曜日

書くことを真剣にしようと思う。


自分が苦手なことは、それが得意な人にまかせておけばいいし、それぞれできることは違うんだからできること得意なことをすればいい。自分がなかなかできないことを他人がやってるからってため息ついて見てなくていいと思う。」

踊るときの、体の動きのなめらかさや色気のようなものが、どうしたって欧米人にはかなわない•••と思いながら人が踊るところを見ていたら横にいた人に言われたこと。

本来、社会はそうやってまわっているはずで、それぞれが自分に合うことやできることをするための場所に落ち着いているはずだろう、と思います。得意なこと、できること、好きなことをするというのは当然のことで、当たり前のことで、でもなんだかそんな当然のことを忘れていたことにはっとしたのです。

苦手なことでも人に負けるもんかとがんばろうとして、でもなかなかうまくできなくて、少し落ち込んで。忍耐とか辛抱強くやってみることとか、大切だと分かっています。辛抱強くやればできるようになることもたくさんあることも、分かっています。でも、自分ができることをすればいいのだ、と改めて思ったのです。


私にとってのそれは何だろう、と考えたときに浮かんだのは「書くこと」です。

日本に一時帰国していたとき、高校のときの小さな同窓会があり、そこで久々に会った担任の先生に言われました。
「あなたは、文章を書くとか、そんなやり方で生きていけたらいいね」

もちろんそんなことが口で言う程簡単ではないことは重々承知です。それでも、高校生のとき「文章を書く仕事に就きたい」と思っていたこと、それを覚えてもらっていたこと、10年経った今改めてそれを言ってもらったことに、なんだかはっとしたのです。その先生は多分このブログを読んでくれていないし、私がこうやって細々と言葉を綴っていることを知らないとは思うのですが、それでもそう言ってもらったときに、気持ちがしゃんとしたのです。

文章を書くこととか、何かを表現することに対してもっと真剣に向き合おう、と思ったのです。
だから、今週は自主的「ブログ更新がんばる週間」なのです。


生活のためにはそうも言っていられないこと、職業を選択する自由のない人も世界にはたくさんいることもわかっています。組織の中では苦手なこともたくさんあることも、分かっています。

それでも、できるだけたくさんの人が、それぞれの好きなこと得意なこと楽しいと感じることをしながら生きていける社会でありますように、と思うのです。そういう人が増えますように、と思うのです。
そしてそのために私も好きなことをやっていなくちゃ、と思うのです。