2012年5月31日木曜日

こなつ こなつ こなつ







5月ごろ、高知でよく見かける丸くて黄色い柑橘系の果物は「小夏」と呼ばれていて、
なんてかわいい名前なのだ!と見かける度に思います。
「小夏」って。なんてすてきな名前の果物なのだろう。


2012年5月29日火曜日

春のお出かけは雨ばかり







この春は、あちこちに出かけて会いたい人たちに会ってきました。

会えるかな、会えたらいいな、と思いつつも、別々の道を進むし、きっと会えないだろうなと思っていた人にも再会することができました。
会えてしまうものなのだなぁ、というのが正直な感想。
思い続けていれば、神様はチャンスをくれるのだなぁ、と。


ここ最近、からだが変わった実感があります。
例えば早起きができるようになったこと。5時台6時台に目が覚めたり、
休日でも比較的早く起きて活動していること。昔はいつまででも寝ていたのに。
例えば下着が合わなくなったこと。(急に太ったとかやせたとかではないのに。)
例えば、ひじきとかわかめとか、海藻を食べたくなるときがよくあること。
「歳かぁ」と思えばそれまでなのですが、なんだか自分が「人間」として、
ほんとうに少しずつ変わっているのだなぁ、ということになんだか感慨深い日々です。


2012年5月20日日曜日

土地に呼ばれる

気持ちがふわふわしていると、写真もふわふわします。
本当に正直に出てしまうなぁ、と思って。
こちらはGWに行った、高知の道の上にて。



「土地に呼ばれる」という感覚が、あります。
旅をする人たちはよく、そのことばを口にします。
「ここに呼ばれちゃったからね」「あそこには呼ばれてなかったね」

知らず知らずにある土地にいることになったり、離れられなくなったり。
もしくは、行こうとして計画を立てていても何かの理由で行けなくなったり。
(例えば土砂崩れで道がつぶれるとか、バスチケットが取れないとか、そんなささいなこと。)

人知を越えたと言っては大げさかもしれないけれど、でも、自分の意思とは
別のことがらからある土地にいることになったり、もしくは離れたり。
そういうこと、目に見えなくて理屈でもない直感のようなものに素直に従って、
自分が「いる」ところを選びながら、割と今まで暮らしてきました。


高知は、というか四国は私にとって特別なところでした。
初めて四国に降りたそのときから、ここに住みたい!とはっと目が覚めるように思い、
高知にご縁があって初めて足を踏み入れたときから、「こんにちは、よく来たね」と
迎えられているような感覚。
2年間住んでいたときは、その場所にいることがうれしくてうれしくて仕方なかった日々。
空の青の濃さも、気合いの入った雨の降り方も、土佐弁の音もことばの言い回しも、
人々の顔つきも、目に入る風景、街の匂い、とにかく全てがわけもなく好きなところでした。
土地に恋していた、という感じ。呼ばれちゃったんだなぁ、ここに、と思っていました。

そんな高知に久々に行った先日。
楽しかったのだけれど、高知はほんっとに素敵なところだったのだけれど。
4年ぶりに会っても離れていた時間なんてないように話せる大好きな友人もいるのだけれど。
それでも、何かが確実に違っていて、以前のような気持ちではありませんでした。

土地は変わるし、人も変わる。
土地が変わったのか、私が変わったのかは分からないけれど、でも、以前のような
「特別」な感じはもうないということが、なんとなくはっきりわかったのです。

まだまだ、もう少し、私の「土地をさがす旅」は続きそうです。
身にふりかかるご縁の糸をたぐりつつ、次の居場所を見つけようかと思っています。



2012年5月17日木曜日

"Time within us"


こんばんは。
ご無沙汰してしまいました。
比較的ばたばたしていたけれど、すごく忙しかったわけではなく、
書きたいこともぽつぽつ浮き上がってはきていたのですが、
うまくしっぽをつかまえることができなくって。








ここ1ヶ月は、かっこいいひとにたくさん出会っています。
かっこいいというのは、その生き方が。
生きることに思い切りのある人は強くて、かなわない、と思います。

私も覚悟を決めて生きていかなくては、と思うのですが、まだまだふらふら
迷ったまま。
少しずつでも進むしかないこと、分かってはいるのですけれど。


タイトルは全く関係のないことばだけれど。
イスタンブールにいたときに美術館でやっていた、展覧会のタイトルでした。
なんだか好きだな、と思って頭の片隅にずーっとあったことば。