2010年2月25日木曜日

as large as...



レバノンにやってきました。

レバノンは、来るかどうか迷っていたところなのですが、ここの国土面積は岐阜県とほぼ同じということを知り、岐阜県民としてはそりゃあ行かなくちゃ、ということで、レバノン。

シリアから一緒に来た人(中国とインドで会い、シリアでまた再会)は入国カードの職業欄にsamuraiとふざけたことを書きながらも、何の問題もなくあっというまに国が変わり、ここはレバノンです。このあたりは国土が狭いので、少しの移動で国が変わり、なんだか不思議な気分です。

ここに来て驚いたことはベンツがたくさん走っていること(こんなにベンツの多い国は初めて!)と、地域によっては(特にキリスト教徒が多いところ)人々のあいさつが、ボンジュールになること。そしてどこでも誰でもたばこを吸うこと。昨日はバスの中でたばこを普通に吸う人がいて、おお、と思いました。バスの中でたばこを吸う姿を見たのは中国以来です。

少しだけ、レバノンをうろうろしてみようと思います。そのあとまたシリアに戻ります。

2010年2月22日月曜日

シリアより

こんにちは。

私は、ただいまシリアにいます。
シリアについて聞いてきたことは、3つ。
ケーキのレベルが高い、ということと、チョコクロワッサンがおいしい、ということと、人が親切だということ。最初の2つのことを教えてくれたのはインドで会った人なのですが、そのときから、お、これはシリアに行かなくちゃ、と思っていました。ということで、シリア。

いいところです。ほんとうに、すてきなところです。人はあたたかく、ケーキもパンもおいしくて、空は青くて、見上げたらモスクがあちこちにあって。穏やかな気持ちで日々すごせるところです。平和な、やさしい気持ちでいられるところです。

ここは、社会主義国です。情報がコントロールされているので(中国みたいだ・・・)、facebookとyoutubeが開けなくて、ブログも(blogspotのものは)開けません。シリアにいる間はコメントをいただいても私が読むことができず、お返事を返すこともできません。写真もなぜかアップロードできません。文章を更新することはできるようです。

ブログの更新があまりできなくなるかと思いますが、とりあえず私は元気でやってます。
シリアはいいところです。

2010年2月19日金曜日

"Build bridges, not walls"

イスラエルにいて思うことはたくさんあって、私の見たものはほんの一部分で偏った視点だということはわかっているけれど、そして上手に文章にする自信もないけれど、でも思ったことを書いてみようと思います。

イスラエル国内にはいくつかのパレスチナ自治区があり、私はそのうち2つに行きました。1つはベツレヘムというところで、キリストが生まれたと言われる教会があり、観光客がたくさん来るところです。もう1つはヘブロンというところで、イスラエル側との抗争がよく起こるらしく、日本のガイドブックには紹介されていない(以前は載っていたらしい)ところです。

ヘブロンはパレスチナ人の街で、でもところどころにユダヤ人の住居もあるところでした。歩いていると、「うちを見てって」と声をかけられ、見せてもらったのは、水のタンクの銃弾のあと(「イスラエル兵士がやったんだ」)、近くの建物の屋上から銃を持って見張りをするイスラエル兵士。ユダヤ人はあんなことをやってこんなことをやったんだ、と話してくれました。

そしてそれは、その話をしてくれた男の子にとってのビジネスでした。観光客に(多少誇張して)その話をして、お土産を買ってもらったり寄付をしてもらったり、被害者であることをビジネスにしているような印象を受けました。(そういえば、インドのダラムサラでも同じ印象を受けました。Free Tibetをビジネスにしているような。)それが悪いとは全く思いません。それよりも、たくましいな、と思います。
人はどんな中でも生きていかなくてはいけなくて、それぞれの生活の中で楽しいことを見つけだしたり、お金を稼ぐ方法を見つけ出さなくてはいけません。パレスチナ人には、日本人の私が想像もできない大変さがあるのだと思います。それでも、人々はおいしいものを食べて、笑って、たくましく生きているような印象を受けました。

エルサレムからバスで1時間弱、ユダヤ人側の首都テルアビブにも行きました。こちらはユダヤ人の街で、ヨーロッパのようでした。アラブ人の匂いがしません。人々の顔つき、服装、そして物価まで、ヨーロッパみたいだ・・・と思っていました。人々は開放的な格好で道を歩き、カップルは仲良く歩き、夜はたくさんお酒を飲み。夜9時過ぎでも、女性が一人で犬の散歩に出歩けるほどの治安のいいところでした。

ヘブロンとテルアビブ、全く違うところでした。宗教も人の顔つきも、言葉も物価も町並みも違うのに、同じ国の中ということが不思議です。異なる宗教を持つ異なる民族が、1つの国に住む複雑さを感じていました。

パレスチナ人はユダヤ人の監視下で暮らしていかなくてはいけないし、ユダヤ人にしても、徴兵があって時には銃を撃たなくてはいけないだろうし、パレスチナ問題も落ち着いていないという中にいるのだけれど、それでも、それぞれの場所で人々は力強く楽しそうに暮らしている、という姿が私の目に映りました。政治や生活にそれぞれ不満はあるだろうけれど、それでも、きちんとみんな楽しそうでした。そんな姿を毎日あちこちで目にしました。

日本に来た外国人が、日本人はきちんと楽しそうに暮らしていると思うのかな、日本人はたのしく暮らしているのかな、と日本人の私はふと思いました。

Build bridges, not walls (塀ではなくて、橋をつくって)
ベツレヘムの分離壁に書かれていた言葉です。

2010年2月13日土曜日

不思議なことだらけ




エルサレムのシンボル、岩のドーム。ずっと見ていても飽きない美しさです。
こちらで出会った人が、「これ見た瞬間から、タイガーバーム(旅行者みんな持っている万能薬)とかぶって仕方ないんだよ。」と言っていました。確かに色といい形といいタイガーバームに似ています。でももちろん、タイガーバームよりこちらの方が美しいです。



犬はあまりいないけれど、猫はよく見ます。







この日の夕方は、雲をちぎって上から散らしたような夕焼け雲でした。


今日思ったこと。

ユダヤ人に使われているのはヘブライ語なのに、英語を使っている人も少なからずいます。観光客ではなく、ユダヤの正装をした人も、普通にこちらに住んでいるらしい人も。あちこちから英語が(それもネイティブスピーカーのそれが)聞こえてきます。なぜなのでしょう。不思議です。
アジアのあちこちで(特にインドで)、徴兵が終わった後の休暇中のイスラエル人によく会いました。彼らの多くはまるでヒッピーのようで、(長い髪にドレッドにタトゥに、そして中にはドラッグに)、イスラエルに来たらそんなイスラエル人がまだたくさんいるのかと思っていたのですがあまりいません。たまに、インド帰りのようなイスラエル人を見るとなんだか懐かしい気持ちになります。

パン屋さんの数が多い国です。そして、ここはパンがおいしいです。
パンをおいしく焼くことが文化なのだ、という内容のことを長田弘の詩集『食卓一期一会』で読んだとき、なるほど、ということを思いました。
まずパンね、私はそこから考える
というような内容だったと記憶しています。とにかく、パンのおいしいところです。

そんなことを考えながら歩いていた本日です。

2010年2月12日金曜日

イスラエルとパレスチナ

ヨルダンとイスラエルの国境へ向かうバスの中で会った女性が言ったこと。「パレスチナに行くの?」
パキスタンで見た世界地図には、Israelという文字はなく、その土地を指し示す言葉はPalestine。

私は今までこの土地を、何も考えることなく「イスラエル」だと思っていましたが、パレスチナの土地だと思っている人も少なからずいる、ということに最近やっと気づきました。


今日は、パレスチナ自治区に行ってきました。
塀に囲まれていて、中に入るには空港のようなセキュリティチェックを受けなくてはいけない、という噂を聞いてはいましたが、それは本当でした。



塀、と言っても全くあたたかみのない、無機質な、ただ中にいる人を外に出さないように作っただけの塀でした。この中に入るには、身分証明を見せ、指紋をとられ(観光客は免除)、そして出るときには荷物検査。ここの歴史は古く、この問題に関して一言で言えるようなことでは全くないのですが、パレスチナ自治区、とは言いながらも、イスラエルが(ユダヤ人が)パレスチナ人を支配しているように見えてしまいます。

中に住んでいるのは、パレスチナ人、つまりはムスリムのアラブ人です。ムスリムは大概どこでも人がいいように思います。ここもその例にもれず、人が親切でした。道を尋ねれば丁寧に教えてくれ、困っていれば声をかけてくれ、お菓子の屋台をのぞいているだけで「食べろ」とお菓子をもらい。

エルサレムの街とは全く違うように感じます。エルサレムの街を歩いていると、緊張した雰囲気がどことなく漂っています。銃を持った兵士が多いこと、一般の人もたまに銃を持って歩いていること、何かあればその引き金を引くのではないのか・・・と思ってしまうような雰囲気です。親切な人ももちろんいます。ただ、空気として、どこかひやっとしたものを感じます。

今日思ったことは、歴史が人をつくる、ということ。
それは当然のことかもしれませんが、迫害されてきた歴史があり、ほとんど常に緊張状態にある国だから、だからそんな雰囲気になるのかな・・・と。

国という単位がなくならない限り、世界が平和になることはとても難しいのかもしれない、とも思います。そんなことを簡単に言えることでは決してないとも思います。それでも、今の状態は何かがおかしいと思います。何かが、確実に、おかしいように感じます。
民族のため戦っている人がいる、それを知ることができてよかったと思います。

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない   

宮沢賢治 『農民芸術概論綱要』

2010年2月10日水曜日

聖地より


こんにちは。
私はきのう、アンマンから国境を越えてエルサレムまで来ました。来るかどうか迷っていたけれど、来てしまいました。ここは、イスラエルです。

迷っていたのは、イスラエルのスタンプがパスポートに押されると、いくつかのイスラム国に入国できなくなるから。アンマンから国境を越えた場合、95%はスタンプを別紙に押してもらえるので大丈夫と聞いていても、入国審査官の機嫌によって、もしくは運によって、数時間待たされたり、尋問されたり(これらはよくある)、手違いによってスタンプを押されたり(ごくまれにあるらしい)することがあるので、恐れながら国境を越えました。最悪の場合は、今後のルートを変えなくてはいけない・・・と久々に手に汗をにぎりながらの入国審査でした。

「イスラエルは初めて?」 はい。 「目的は?」 観光。 「一人?」 はい。
「オーケー、Have a nice time.」 (なんと笑顔で!!!!!)
旅行者の間でよく話題にのぼるこの国境越え、嫌な思いをする人も多いこの第一関門、私は何の問題もなく、全く待つことなく、幸運にもクリアして、この地にやってきました。

エルサレムは不思議なところです。
ここは一体どこなのだ?と目の前の光景を混乱した頭で見ています。
中世そのままの格好のような(中世の格好をよく知らないけれど、イメージとして)ユダヤ人が歩いていて、壁に向かってひたすら頭を下げるその壁の向こうはムスリムの聖地で、モスクでイスラム教徒がお祈りし、少し歩けばキリスト教徒が聖歌を歌い、イエスの墓にお祈りし、あるところで顔をあげればキリル文字(というのですよね?)の看板。城壁に囲まれた小さな地区の中に、ユダヤ人と、ムスリムと、キリスト教徒がいて、それぞれの場所でそれぞれの方向を向いて祈っています。不思議なところです。

そんなところにいます。
色々と問題を抱えたこの土地を、ほんの数日間、ほんのかけらでも、見てこようと思っています。

2010年2月7日日曜日

虹の上を歩いてみると








アンマンに着いてから2日間雨だったので、晴れるとうれしくて仕方ありません。天気がいいだけで幸せです。
アンマンは坂と階段の多い街です。ちょっと歩いて、後ろを振り返って、そんなことをしながら歩いています。そしてここは、ヨルダンの国旗が多い。どこにでも、国旗が掲げられています。1日にいくつ見るのか数えてみたいほど。
歩くのが楽しいところです。

2010年2月5日金曜日

ヨルダン!


こんにちは。 ただいま、ヨルダンの首都アンマンにいます。とても寒くて、昨日は雪、今日は雨です。

中東を北上しよう、と決めたときに、ヨルダンも通ることになるだろうと分かってはいたのですが、まさか本当にここに来てしまうなんて!と思っています。
「外国に行ってみたい」と思っていた小学生の私にとっての外国は、アメリカでありイギリスであり、ロシアであり中国であって、極端なことを言えば世界はそれらの国で成り立っていたと思っていました。ヨルダンやレバノンやシリアという国に来ることになるとはあのときの私は思いもしませんでした。

中東、という言葉から、「危ないところ」というイメージを持つ人も多いかと思います。
でも実際、場所によってはそんなに危ないところでもありません。何をもって「危ない」と言うかにもよりますが、旅行者はたくさんいて、みな自由に旅行をしています。夜になるとチーズケーキ屋に、おじさんたちが列をなし、みなチーズケーキを食べています。(なかなか平和な光景でしょう?)どこでも人は立ち止まり、おしゃべりをしています。
世の中に、いきなり誘拐されたり殺されたりしてしまう「危ないところ」というのは確かにあるのだと思います。イラクとかアフガニスタンとか南アフリカのヨハネスブルグとか。でも、どこも危ないだけのところではないのだと思っています。そもそも、人が住んでいる以上100%安全なところなんてないはずです。それぞれのところに人が住んでいて、冗談を言って笑うこともよくあるのでしょうし、お茶を飲んで暮らしているのだろうな、と思います。
日本に入ってくる外国のニュースというものが、基本的には「危ないこと」のみ、というのが残念でなりません。危険なこと、おそろしいこと、悲しいことと一緒に、人々のささやかな日常とか、幸せな光景というのも確実にそれぞれにあるはずです。

ともかく私はヨルダンにいます。
昨日アンマンに着いたばかりなのですが、ここは何だかおもしろそうです。